日本的ビートの探求でタグ「五所川原立佞武多 弘前ねぷたまつり お囃子」が付けられているもの

五所川原立佞武多

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ごしょがわらたちねぷたと読みます。

恥ずかしながら青森に来るまではねぶた祭りと言えば青森だけだと思っていましたが、
この時期五所川原、弘前、黒石をはじめ青森県内でなんと30を超える地域でねぶたが行われているそうです。おぉぉ、なんたる。。

弘前ねぷたねぶた、ねぷたと2通りの呼び方がありますが、タクシーの運転手さんは、

「どっちも一緒ですよ、元が一緒だから。発祥は弘前らしいですがね。」
とおっしゃっていました。
写真は弘前のもの。




語源は「眠たい」から始まってねぶたい、ねぷたい、、、、ねぶた!
みたいな感じだそうです。
もともと七夕の灯籠流し等から影響を受け、夏の眠気を流すといった禊祓(みそぎはらえ)の意味から始まったとされています。。

五所川原のねぷたはその大きさが特徴で、高さは7階建てのビルに相当する22m!!
総重量は約17tという言い方は悪いですがバケモノとしか言いようのない大きさのねぷたが街を練り歩くことで有名です。
このサイズのねぷたは最近になって作り始めたのではなく、江戸時代後期から大型化がはじまり、明治2年(1874年)には既に20m近いねぷたが登場していたとのことです。ほら
しかし、電線が市街地に張り巡らされたことにより、巨大ねぷたの運行が困難になり小型化を余儀なくされました。

時は経ち平成5年。
明治・大正期のものと思われる台座の設計図が発見された事がきっかけで、復活への機運が高まり、ついに平成8年立佞武多として蘇ったのです。

五所川原市内五所川原市民のねぷたにかける熱意はすさまじく、行政もバックアップし運行の妨げになる電線を地下に埋める工事まで行いました。
ほら⇒

僕はここまでやってしまう五所川原市に拍手を送りたい!
立派過ぎる!かっこいい!
お金をかける所を知っています。


その巨大ねぷたの運行は僕の稚拙な文章より、見てもらった方か早いでしょう。
「ヤッテマレヤッテマレ」の掛け声と共にお囃子の集団が通り過ぎた後、
ものすごいのがやってきます。



どうです? でか過ぎて全体がカメラに収まりません。。
僕らはただ立ちつくして
「うわ~、あ~、お~おお~、え~?」
とアホみたいな声を出すことしかできませんでした。
アホみたいな感想だけでは申し訳ないので、簡単ですが譜面をアップします(汗)

五所川原立佞武多お囃子のドラム譜

シンプルですが、応用次第では色々使えると思います。(8分音符は3連中抜きです)


五所川原ではあすなろ大太鼓という直径3.2メートルもある大太鼓も登場したのでそれも紹介しておきます。





ね、大きいでしょ?
大きさでは秋田県北秋田市の「綴子神社例大祭」に登場する大太鼓に一歩譲るようですが、
昭和52年に初登場以来夏祭りには欠かさず登場しているのだそうです。
さすがにこの大きさになると叩くのが大変そうで、江戸のお囃子の様にテンテケテンテケ叩くわけにはいきません。上から下から長いバチでゆったりと重いビートを奏でています。

さて、この日最後は交差点で3体のねぷたが顔を合わせ、金木町(現在の五所川原市)出身の吉幾三さんが特別出演して熱狂の中幕を閉じます。
単純に比較はできませんが、どれだけ国民的なスターになってもカーニバルでは必ず地元サルバドールに戻ってくるブラジルのIvete SangaloGilberto Gilのような印象を受けました。
ポーズにせよ自分の土地を大切にする姿には共感を覚えずにはいられません。

青森での2日間を振り返ってみて、地域の文化・つながりの大切さを改めて痛感しました。
僕も含め若い世代の伝統文化離れが顕著だと言いますが、
青森・五所川原どちらの祭を観ても、中心となって盛り上げているのは他でもない若者達でした。

ねぷたの様に華やかな文化を持つ地域ばかりではありませんが、自分達の土地で自分達の文化を守る、伝えていくという姿勢は持ち続けていくべきだと思います。
子供の頃から当たり前のようにお祭りと関わり、また新しい世代にその楽しさを伝え続いていく。
ねぶた祭りに地域文化の一つの理想を見せられたようなそんな2日間をでした。

五所川原立佞武多

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