2009年2月アーカイブ

2月14日と言えば世間ではバレンタインデーなのかも知れませんが、
埼玉の鷲宮神社では、土師一流催馬楽神楽の奉納を含む年越祭が毎年行われています。

鷲宮神社国の重要無形民俗文化財にも指定されているこの神楽は、以前紹介した江戸里神楽の源流とも言われ、関東の神楽には大きな影響を与えたようです。

一時は神楽師の減少から消滅の危機に瀕していた催馬楽神楽ですが、最後に残った白石国蔵氏と復興会の尽力により、現在は若い世代にもその芸能が受け継がれています。


基本的な演目は下の12座
  1. 天照国照太祝詞神詠之段 (あまてるくにてるふとのりとしんえいのまい)
  2. 天心一貫本末神楽歌催馬楽之段(てんしんいっかんもとすえかぐらうたさいばらのまい)
  3. 浦安四方之国固之段(うらやすよものくにかためのまい)
  4. 降臨御先猿田彦鈿女之段(こうりんみさきさるたひこうずめのまい)
  5. 磐戸照開諸神大喜之段(いわとしょうかいしょじんだいきのまい)
  6. 八洲起源浮橋事之段(やしまきげんうきはしわざのまい)
  7. 大道神宝三種神器事之段(だいどうじんほうさんじゅじんぎわざのまい)
  8. 祓除清浄杓大麻之段(ばつじょうしょうじょうおおぬさのまい)
  9. 五穀最上国家経営之段(ごこくさいじょうこっかけいえいのまい)
  10. 翁三神舞楽之段(おきなさんじんぶがくのまい)
  11. 鎮悪神発弓靱負之段(ちんあくじんはっきゅううつぼのまい)
  12. 天神地祇感応納受之段(てんじんちぎかんのうのうじゅのまい)
うん、めっちゃくちゃ名前長いっすね。
でもよーく漢字を読むと分るように、古事記や日本書紀といった日本神話を元にした演目がほとんど。
お正月には全演目披露されるようですが、今回は一部のみの奉納でした。

それでは伊邪那岐命と伊邪那美命で有名な国生みの一節、
八洲起源浮橋事之段(やしまきげんうきはしわざのまい)をどうぞ。



最近古事記にハマって読みまくっていたので、
もうイザナギの命がしゃべるだけでも大感激!

ただ神話では木の周りを回ったとあるのになぜこの神楽では橋なのか?
神主さんが質問を受け付けると仰ったので聞いてみると、

「昔の人が考えたんでしょうね。」

そうすね、、橋の方が見栄えがいいすもんね。
さて、こちらは後半部分。



このリズムと節は他の演目でも使われていて、
大太鼓がドド!ってくるとおぉぉ~またきた~!
ってな感じでその度に心躍らされました。
ここのフレーズは応用次第で特徴的なビートになりそうな予感。

また、終わる時や節目で太鼓をドンと1回しか打たないのも印象的でした。
日本音楽の大きな特徴だと認識していた2回打ちですが、
案外その歴史は浅いのかもしれませんね。

変わって12座の合間に披露される端神楽(はかぐら)。



巫女さんを演じる女の子は堂々たるものですが、中学生になると引退しなくてはならないとのこと。
少し残念な気もしますが、文字通りさまにしんでいただくという観点から考えると、
永遠である神に奉納する芸能を永遠でない一人の人間が独占してしまうシステムよりもずっと理に適っているように思います。

催馬楽神楽はあくまで神事なのですね。

芸能的な側面が強い江戸里神楽と比べ、共通点よりもむしろ相違点のほうが多い印象でしたが、
それだけにまた見に来たいなと思わせる神楽でした。

鷲宮らき☆すた最後についでと言ってはなんですが、この鷲宮神社はアニメオタクの聖地でもあるようです。

人気アニメ「らき☆すた」の舞台になった事がきっかけで鷲宮神社にはアニオタが詰め掛けるようになり、*今年の初詣では正月三が日での参拝客が12万人も増えるという異様な盛り上がりをみせているとのこと。
*MSN産経ニュースより

昼食を取ったお店では箸入れを始め、メニューのいたるところに「らき☆すた」のキャラが。
本格的な専門店もありましたし、新たな名物として定着しつつあるのかもしれません。


お神楽研究で著名な三上敏視さんからご紹介いただき、
板橋の田遊びを見に行ってきました。

行事が行われたのは、東京都板橋区の徳丸北野神社です。
この日は中野での路上ライブの後、荷物を片付けてそのまま現地へ向かうという強行スケジュールでしたが、それでも見に行けちゃうくらい都内に住んでいる人には気軽に行ける距離に位置しているのです。

普段は閑静な住宅街といったイメージの板橋区ですがそこで繰り広げられた光景は、未開の地で密かに行われていた少数民族の儀式といった趣きの、東京というより日本にいることも忘れさせるような強烈なインパクトを放つものでした。

板橋の田遊び写真を見ていただくとなんとも和気あいあいとやっているようですが、後で聞いてびっくり。この行事が行われるの今年でなんと
1014回目!!
毎年やっているという事ですから1014年も前から続いている行事なんです。
国の重要無形民族文化財に指定されているのも頷けますね。


そもそも田遊びというぐらいだから田んぼの周りかなんかでやるんだろうと思っていましたが、
言葉の響きからは想像できない程この行事はぶっ飛んでました(笑)

舞台の真ん中に太鼓を立てて置くのですが、それが田んぼなのです。

ん?


なんで太鼓が田んぼ?
全然似て無いじゃん。

一瞬、というかずーとそう思ってましたが、でも田んぼなのです。
この時点ですでにぶっ飛んでいますが、
当日もらったパンフレットから抜粋してその内容を紹介しましょう。

  1. 田歩調べ:大稲本と小稲本の唄導によって開始されます。まずは徳丸村の苗代の数を調べます。
  2. 田打ち:田んぼを「荒おこし」します。
  3. 田うらない:ニワトコに餅をつけた作られた鍬を使い、田んぼに見立てた太鼓を打つ仕草をし、田をならします。
  4. 代かき:牛の面をつけた「牛」役が、大稲本と小稲本にひかれて田をならします。
  5. 種まき:大稲本と小稲本によって、神田などに種がまかれます。
  6. 鳥追い:大稲本と小稲本が竹でできた「ささら」を鳴らして、神田などの苗代を荒らす鳥を追い払います。
  7. 田廻り:それぞれの田の苗の育成状況を見て廻ります。
  8. 春田うない:それぞれの田を掘り起こします。
  9. 田かき:再び「牛」が太鼓を廻り、田をかきます。
  10. 田ならし:田に肥料を入れてならします。
  11. 田植え:稲の苗に見立てた「早乙女」役の男子を大稲本と小稲本が白扇であおぎ、鍬取りが太鼓の上にのせて、高くほうり上げます。苗の生育と子どもの成長を祈っているものです。
  12. 呼び込み:もがりに向かって、宮司宅から松明に導かれながら。「ひるまもち」とユーモラスな人形「よねぼう」が踊りながら歩いてきます。これは農作業の昼休みを表現しています。その後、害虫や疫病を祓う「獅子」が登場し、「駒」と「矢(破魔矢)」が続きます。最後に「太郎次」・「安女(やすめ)」の夫婦があらわれます。安女は妊婦で太郎次と抱き合う仕草をし、五穀豊穣を表現します。
  13. 田の草取り:それぞれの田の草をとります。
  14. 田周り:稲穂の育成を確かめます。
  15. 稲刈り:大稲本と小稲本がニワトコに絵馬を付けた「鎌」を使って稲穂を刈り取ります。
  16. 稲むら積み:太鼓の上に田遊びの道具一式を積み上げて豊作を言祝(こほと)ぎます。最後に手締めを行って終了します。
いやぁ、もうほんとに。。
すごいでしょ?
要は今年一年の豊作を願ってシュミレーションしているわけです。
しかもこれだけ綿密に。
なんか豊作になる気がしますね。



色んなもので代用しているところが遊びなのでしょうか。
ご覧の通りやっている方々もとても楽しそう。

あまりに楽しそうだったので、この行事を行っていた方にこれは遊びなんですかと聞いてみると、

「いや、神事です!」


恐れ入りました。
今も昔と変わらず51の氏子さんの為にこの神事をおこなっているそうです。
これからも変わらず、楽しい神事として続いていって欲しいものです。
三上さん貴重な情報ありがとうございました。

板橋区の方が紹介されていたので、興味ある方はこちらも読んでみて下さい。
板橋ハ晴天ナリ
http://akatsuka-tokumaru.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/2009-f83a.html


三上敏視さんのブログ
http://d.hatena.ne.jp/micabox/

三上敏視さんのバンド「MICABOX」のサイト

http://www2.comco.ne.jp/~micabox/

やろうやろうと言いながらなかなか実現しなかった路上ライブを
このたび東京中野駅前で行いました。

団体名は前々から構想があったのですが、
菅田米穀店芸能部 (かんだべいこくてんげいのうぶ)
に決まりました。
というか決めました。
菅田米穀店芸能部 八木節の演奏
菅田米穀店というのはズバリうちの実家の米屋なのですが、スーパーの台頭であったり、都心への人口の流出により存続の危機に瀕しております。
もう田舎で米を売っているだけでは厳しい状況ではあるのです。

とは言え、先祖代々続く商いですし、せめて名前くらいは残していきたいという気持ちからこの名前にしました。別に奇をてらっているわけではないのです。

日本の様々な芸能を扱っていくので、メンバーはその都度変わってしまうとは思うのですが、バンドではなく部活という括りで考えれば案外すんなりいくのではないかと。。


さてさて、何はともあれお客さんの反応がみてみたいと気合を入れて演奏に臨みました。
しかし、一曲やってみて気づいたのですが、それなりにお客さんは集まったものの、いったい何をアピールしてよいのか自分自身よく分っていませんでした(笑)
お金を儲けるためではないし、バンドの宣伝でもない。
楽しんでもらいたいだけなんだけど、やりっぱなしじゃお客さんは帰っちゃうし、なんともせつない。。
けど何をしゃべるのか?(笑)

結局意外と子供にウケがいいことに気づき、
「叩いてみる?」
と誘い込みをかけてみる。
するとこれまた意外に恥ずかしがらず、すんなりドラムの椅子に腰掛け楽しそうに叩く。
親御さんにも喜んで頂き、こういう交流もいいかも。
とか思いながらもなんか違うな~と。

なんか僕らだけでやってるってのを取っ払いたく、
「どなたか八木節唄える方いらっしゃいませんか~?」
「踊れる方でも結構ですよ~!」

と、呼びかけてみるがそんな人はそうそう中野にいない。。

「このドラムのリズムはですね、鉦をシンバルで鼓をスネアで大太鼓をバスドラで。。」
と、説明をしたりもしてみましたが、へ~そうなんだといった反応で終わり。



この動画では「日本のリズムはダサいってイメージがあるかと思いますが、
こんなにカッコイイものもあるんだってことを知っていただければ幸いです」

てなことを言っているのですが何か物足りず名刺を配ったりしてますね(笑)
結局欲しいと言ってくれた小学生にあげましたが、きっと意味分かんないだろうな~。
もっとスムーズなコミュニケーションはできないのか?

今後に課題の残る路上ライブとなりました。

土師流江戸里神楽松本源之助社中

お稽古に通いだしてちょうど半年になりますが、中々お師匠達の実際の奉納の場に立ち会う事ができず、神楽の奉納に関しては今回の湯島天神梅祭りでやっと実現しました。

自分の属している団体だとなかなか客観的に見れないものですが、
見ている内にどんどん引き込まれ気付けば素直に楽しんでいる自分が居ました。

実際の映像をどうぞ。



話をされているのが現在の四代目。
たまに話をさせていただく事があるのですが、
あぁ、これが江戸っ子っていうんだな~と。

見ていただけると分かると思うのですが、
その雰囲気から立ち振る舞い、しゃべり方に至るまでどこを取っても粋です。

そして太鼓を叩いてらっしゃるのが五代目。
僕はこの方にお稽古をつけて頂いているのですが、一言で言えば僕はこの方が好きです。
そう言わせてしまう雰囲気を持った方です。
以前教えて頂いた事で印象に残っているのが、音楽のカウントについて尋ねた際のこと。

「ロックやジャズをやる時、ワン・ツー・スリー・フォーって入るじゃないですか。
 あれには昔から違和感を感じていて。。
 かといって、いち・に・さん・はいって訳にはいかないですしねぇ。。」

よ~おっ でしょ。」

これは本当に目から鱗でした。
そもそも日本では数字で数えないんすね。
言われてみれば宴会の席の一本締めで、いち・に・さん・はいっなんてやってる人いないすもんね。。

さて、少し僕の知っている限りで動画の内容に触れると、
ここで伴奏に使われているのは江戸の祭囃子が元になっています。
(屋台、鎌倉、四丁目etc)
常に舞手に合わせて演奏しているので、言うなれば即興の舞台音楽ですね。
場面によって演奏の雰囲気ががらっと変わるのが分かると思います。

ここからは四代目の大黒様。



見ている方は楽ですが、演じている方はお面を付けていてほとんど視界が遮られていることを考えるといかに大変かが分かると思います。
鉢巻のやりとりなんかはかなりベタなギャグかと思いますが、
師匠がやるとなんでこんなに面白いんでしょうね?
こういう雰囲気は僕らのような若造には到底まねのできないものだと思います。

YouYubeは最大アップできる時間が10分なのでこの辺りで切って最後の部分。



獅子がお金食ってます。
実在する動物ではないのに、なぜかそれっぽいと思ってしまうのは僕だけでしょうか?

観客を引き込む演出。
福も笑いももたらして、楽しい気持ちで新年を迎えられる。
全てを見終えて、改めて芸の緻密さ、芸能の完成度の高さを感じました。


畏れ多くも僕はこの芸能の中から、日本的ビートとして使えそうなものを抜粋してやろうと密かに計画しているわけですが、芸が深すぎてなかなか簡単にはいきそうにありません。。

大好きな大好きな松本社中。
これからもいい関係でいたいものです。

※ここで紹介した「寿獅子は」江戸里神楽の演目ではなく伊勢から流れてきた太神楽の獅子舞を江戸の神楽が取り入れたものです。


出会いというのは不思議なもので、
時に想像できない程ドラマチックだったりします。


「金町八木節いち六會」さんとの出会いも、そんな中の一つです。

今年に入り昨年の反省も含め、もっと正々堂々と自分がやっている事をぶつけてみようと思い、
桐生八木節まつりへの出演という新たな目標を設定しました。

じゃあ、いったいどうすれば出れるのか?

桐生市役所観光交流課、桐生商工会議所、協賛会事務局と立て続けに電話しましたが、
中々確信的なことは聞けずたらい回しに。。
桐生市の中でも出し物の管轄は町ごとに分かれており、各町会長さんに聞いたほうが早いとのこと。

そんなこんなで辿り着いたのが本町五丁目の町会長さん。

突然の問い合わせに最初はかなり警戒してらっしゃいましたが(無理もないですけど)、
八木節への情熱を伝えるや否や町会長さんの対応は一変!
まくし立てるようにおまつりの話をしてくださいました。

話によると出演者は基本的に抽選で決められており、
尚且つ、樽、鉦、笛といったオーソドックスな八木節スタイルが出演条件とのこと。
あぁ、これは諦めざるをえないかと肩を落としていると、

「そういえば東京に踊りやってる団体があるから紹介しようか?」


と、思わぬ展開。

「ぬ?」

聞けば3年連続で八木節まつりに出演しているとの事。

「一緒にやりゃ~え~がや!」

おおおぉぉぉ!そりゃーえがや!
と、こちらも興奮し勢い勇んで教えていただいた連絡先に電話。

「プー、この番号は現在使われておりません....」


うぅ、万事窮すか。
いやもっかい町会長さんに聞こう。

「ケータイ電話にかけりゃ~え~がや!」

あ、それならその方がえーがや!

と、まぁこんな感じでやっとコンタクトがとれたのが、
金町八木節いち六會の安斎律子さんです。

電話で話す限りものすごく腰の低い割とおっとりした方というイメージでしたが、
会いに行ってビックリ!

「私、前までモヒカンだったのよ、髪の毛30センチ以上切ったの。
あれ昔流行ったでしょ?」


いや~、わかんないすけど流行ったのかな。
現在も独自のヘアースタイルで昭和風に言えばかなりイケイケな感じ。
以前はジャズダンスをやっていてインストラクターの資格を持ってるとか、「笑っていいとも」の腕相撲選手権で優勝したとか、かなりのツワモノでした。

金町八木節いち六会の皆さんと写真は左下から、安斉さん、前田さん、副会長の井波さんと僕です。

*副会長さんのお店にて撮影


皆さん本当にいい人達で、なんだかんだでめちゃくちゃご馳走になりました。
本当にありがとうございます。



さて、金町八木節いち六會は毎月不定期で土曜日に踊りの発表をしています。
場所は金町の末広商店街。
この日は豆撒きで、豆以外にも色んなものが撒かれるということで子供から大人まで沢山の人でにぎわっていました。



単に見学ということでお土産くらいしか用意せず、軽い気持ちで訪ねて行ったのですが、
以前に演奏した僕らの動画を見ていただいていたこともあり、
僕ら以上にやる気になっていただいて、恥ずかしながら町民の皆様にマイクで挨拶までさせていただきました。。

もうここまで来たらやるしかない。
SAXの前田さんがチンドン屋さんなので本業に差し支えない程度に、
とも言ってられないので少々無理してもらっていち六會さんとの共演を実現します!
演奏のみの僕らと踊りがメインのいち六會、願ってもない組み合わせだと思います。

僭越ながらもしこの共演が金町の一つのスタイルになったら、
金町でドラムが叩ける若い人に託したいとも思っています。
お祭り、地域の芸能はその町の為にあるものですから。

共演が待ち遠しいな。
いち六會の皆さん本当にありがとうございました。
これからもよろしくお願い致します。

後日桐生本町五丁目の町会長さんにお礼の電話をしましたが、
僕らが繋がった事をとても喜んでくれました。
名前は伏せておきますが、本当にありがとうございました。


桐生八木節まつり
http://kiryu-maturi.net/
金町八木節いち六會
http://www.geocities.jp/yagibusi_ichirokukai/

追記:
ちなみに足利が本場か桐生が本場かという問題もありますが、原曲の生まれが桐生、唄い広めた堀込源太が足利というのが僕の認識です。(岩波書店、日本民謡集参照)






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アイテム

  • 鷲宮神社
  • 板橋の田遊び
  • 菅田米穀店芸能部 八木節の演奏
  • 金町八木節いち六会の皆さんと

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