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平成22年元旦のサムネール画像 今年は少し調子に乗りましたね(笑)
これはキモイ!

自分でやっておきながら、これは何のパロディーなのかよく分かっておりませんが、まぁせっかくなので毎年の密かな楽しみにしたいと思います。

本日は獅子舞の太鼓を叩かせて頂きました。皆様にとって良い一年となりますように!

本年もよろしくお願いいたします。








只今「菅田米穀店芸能部」では、
継続して参加して頂けるギタリストを募集しております。

我々がやろうとしている事は基本的に民謡(三味線パート)の完コピですので、
ピロピロ弾くような技術は必要ありません。

条件は本当に民謡が好き。
ただそれだけです。

ロック~ファンク~ジャズ~ラテン等、一通り経験した上でやっぱ民謡でしょ!
って人がベストですが、やっぱり一番大事なのは気持ちなので。

我こそはという方、いらっしゃいましたら自薦他薦は問いません。
ご連絡お待ちしております。

問い合わせフォーム

菅田米穀店芸能部の動画


八木節





東京音頭



牛深ハイヤ節



斎太郎節



え~、番外編でございます。
ちろっと暇が出来たので、作ってみました。



もしも使いたいという奇特な方がいらっしゃいましたら、
以下のソースを貼り付けて使ってください。



だんじりのコメントで「祭り好き税理士」さんに教えていただいた、
祭りカウントダウンブログパーツをヒントに作りました。
ありがとうございました。

ちなみに2010年の8月15日19:00をターゲットの日時としたつもりですが、
バグがあるかもしれません。

おおよその目安にしてくださいな。
ではまた。
え~、なんでしょう。
思い立ったらやってみたくなる性格でして。。

チンドン屋さんになる気もないのにチンドン太鼓を作ってみました。


幸運にも何人かのチンドン屋さんと知り合うことができ、
業界の事やなんかを色々聞かせて頂きましたが、
話を聞く度に、あぁ、厳しい世界なんだな。
これは僕が割り込んで行くべき所ではないな。
そういう認識を深めていきました。

よし、そんなら作ってみるか。チンドン太鼓!

と普通はならないでしょうが、一度足を突っ込んだ主題ですし菅田米穀店の備品として一つくらい持っておくのもいいかなと島忠(ホームセンター)へ向かいました。

*ここからはあくまで素人が作ったチンドン太鼓の作り方ですので、
 本気の方は参考にしないで下さい。
 あまりちゃんと説明したサイトが無かったので書いたまでです。


と、その前に太鼓は買わないといけません。
鉦もです。

僕はチンドン屋の足立さんに紹介され浅草の「宮本卯之助商店」で購入しました。

小締太鼓 平太鼓 鉦左から時計回りに、

・平太鼓
・小締太鼓
・鉦

です。
お値段はピンキリ。
つっても正直結構します。。



チンドン太鼓用木材次に木材。

<エゾ松>
・430×150×20(イ)二枚
・400×150×20(ロ)二枚
・100×150×20(ハ)一枚

<S.P.F材>
・230×20×20(ニ)一本
・75×20×20(ホ)二本


チンドン太鼓用木材<桧>
・150×15×15(ヘ)四本

*側面が三角のもの








チンドン太鼓用金具<金具類>
ショウ×8:角に取り付けるやつ
ステンレスネジ(3.5×32)二袋くらい
ステンレスネジ(3.1×20)一袋くらい
超細い釘(20)一袋
輪付きネジ(中、小)1セット

<紐>
やや細いの:太鼓用
細いの:鉦用
*写真の太いのは使いませんでした。

ニスとかニスを塗るのにハケも買っておいた方がいいっすね。

ちなみに今回は水性ウレタンの塗料を使いました。







チンドン太鼓作りこういうのは性格出ますね(笑)
汚ない。。
ちゃんと新聞紙とか使った方がいいっすよ~。








チンドン太鼓作り一応こっから作り方

上下(イ)と前後(ロ)を組み合わせて平太鼓用の枠を作ります。
ネジで固定した後、角にショウを着けて補強しました。






チンドン太鼓作り塗料を塗る前にサンドペーパーで表面を綺麗にしておいた方がいいらしいです。
今回は塗った後指摘されたのでやり直し。。







チンドン太鼓作り側面が三角の棒(ヘ)と普通のちっちゃい棒(ホ)を細い釘で固定します。

*これはホームセンターで斜めの切断を受け付けていなかったためやむを得ずやったまでで、斜めに切れるのであればそれに越した事はないです。





チンドン太鼓作りこんな感じで枠下部分の補強にしました。外側からネジで固定してます。
棒でなくて板一枚でもいいっすね。









チンドン太鼓作り長い棒(ハ)をネジで枠と固定します。
演奏する時に肩から紐で引っ掛ける為です。
なので演奏者側、上部にくるようにして下さい。







チンドン太鼓作り枠下部分と同じ要領で上部の補強をします。(ハ)と(ヘ)で対応。










チンドン太鼓作りここからはちょっと失敗談。
斜め切りができないのでいろいろ工夫しつつ鉦用の屋根付き枠を作ってみました。








チンドン太鼓作り要はこういう風にしたかったんですけど。










チンドン太鼓作りこうなりまして。。











チンドン太鼓作り再購入。。
屋根は諦め鳥居風にすることに。

<エゾ松>

180×45×15(ト)二本
20×45×15(チ)二本
250×45×15(リ)一本
290×45×15(ヌ)一本

チンドン太鼓作り

こんなイメージ。
足(ト)の上に短い方の棒(リ)を乗せて、その上に(チ)(ヌ)。









チンドン太鼓作りのサムネール画像また塗ります。。











チンドン太鼓作りのサムネール画像枠との接続部分はガッチリさせるため、ネジで留めます。
ここは(ト)ですね。









チンドン太鼓作りのサムネール画像今回学びましたが、細かいところにこういう太めの釘はNG!
今にも割れそうですね。
まぁ普通に考えれば分かるか。。








チンドン太鼓作りのサムネール画像こういう細いので十分です。
ニ、三本差しときましょう。










チンドン太鼓作りのサムネール画像こんな感じで。
いくつも木が重なる部分は釘同士がぶつかない為にも細いのをお奨めします。








チンドン太鼓作りのサムネール画像間の木(チ)はもう少し長くてもいいかもしれません。

つ~か、チンドン太鼓は基本鳥居ではなく屋根です。
悪しからず。






チンドン太鼓作りのサムネール画像鉦を引っ掛けるために両足の上部に輪の付いたネジを取り付けます。










チンドン太鼓作りのサムネール画像鉦を細い紐で引っ掛けて出来上がり。











チンドン太鼓作りのサムネール画像平太鼓用にも上部二点、下に一点取り付け、紐で固定する。

*平太鼓には最初から輪が三点付いているものを使っています。







チンドン太鼓作りのサムネール画像こんな感じになります。
きっちり留めれば割と安定感あります。









チンドン太鼓作りのサムネール画像小締太鼓を鳥居に引っ掛けて。











チンドン太鼓作りのサムネール画像とりあえず、完成!!

なんか鳥居がねじり鉢巻してるみたいで、わけわかんないっすけど。

ちょっと試奏してみたところ、いい音しましたよ!
太鼓は職人さんが作ってますからね。













今回長々と作り方というか失敗談を書きましたが、最終的に言いたかった事は、
チンドン屋さんはエライってこと。
チンドン太鼓(枠)は基本的に皆さん手作りです。

こんだけの苦労を皆さん経験してるわけです。


十人十色のチンドン屋さんですが、演奏はもとより太鼓も十人十色。
今度町で見かけたらチンドン太鼓にも目を向けてみると面白いかもしれません。

さてさて、僕はこれで商売をするわけではないのでしばらく部屋のインテリアになりますが、
ちゃんとしたチンドン太鼓が欲しいという方は東京チンドン倶楽部の高田さんを訪ねて行く事をお奨めします。
実はチンドン太鼓のセット、先述の浅草宮本卯之助商店で販売しています。
そして、その販売用のセットを設計したのが高田さんなのです。

先日音頭バンド「カラカラ」に参加した際、チンドン担当の佐藤ゆみさんに高田さんの作ったチンドン太鼓を見せてもらいましたが、鉦の枠は取り外せるわ、木も斜めに綺麗に切ってあるわ、
枠上部にどうやって空けたのか穴も空いてるわ、もう匠の技って感じでした。
写真は企業秘密って事で伏せておきますが一見の価値ありです。


類は友を呼ぶ

と昔から言うのか最近言い出したのかは知りませんが、
同じような志を持った人に出会う機会が多くなってきました。

現在おそらく唯一の音頭バンドである、
カラカラ のメンバーとの出会いもそうでした。

音頭バンド「カラカラ」先日僕宛に一通のメールが届きます。

話によるとバンドのドラマーを探していたところ、チンドン屋の高田さんから紹介され僕のブログを見たとのこと。

これはバンドにぴったりだということで、白羽の矢が立ったわけです。




音源を聞かせてもらうと皆恐ろしく上手い。
ただ最初は正直、音頭か。。
日本の音楽はダサいと言う印象を若者に植え付けた張本人と言っても過言でない音頭をあえて看板に掲げてやるのか、、うぅ、、と思ったのも事実です。

しかし、団長・萩原遼さんの
「だからこそ音頭をやる、音頭には日本の音楽の旨みが詰まっている」
という男気溢れる主張にもっともだと思いっきり納得させられ、結果的に参加を決意しました。

それから約一ヶ月、ちょこちょこ練習しつつ先週早くも本番を迎えました。
皆さん忙しい方々なので全員で演奏するのはこれが始めて。
会場はなんと文京区の銭湯 月の湯

ご主人の粋な計らいとメンバー及び関係者の涙ぐましい努力でこの本番を迎えたわけです。
実際の演奏からの一コマを紹介します。



スタンド・バイ・ミーの日本語&音頭カバーで「君がいれば大丈夫」
少ない練習でこれだけ息が合うのは皆さんの力量もさることながら、
やはり 日本人のリズム だからなのでしょうか。

こういった活動は音頭に決着をつけるという意味でとても意義があり、また楽しくもありました。
ただ僕にはどうしても拭いきれないリズムの感じ方というものがあり、
今までヘタクソながらもドラマーとして感じてきたグッとくるリズムへの執着心も捨てきれず、
結局このバンドを抜けさせて頂くことにしました。

インチキ民俗学者になるんだと割り切っていたつもりだったのに。。
割り切れていない自分を情けなく思いつつ、このバンドを断ったんだから下手な事はできねぇぞ
と気持ちを引き締めてこれからの活動を続けていく所存です。


カラカラメンバー

萩原遼 (三味線・団長)
さかもとりえ (唄)
廣瀬拓音 (ベース)
佐藤 "親方" ゆみ (ちんどん・コーラス)
鈴木 "すずめ" 恵 (お囃子・コーラス・鳴物)

サポートメンバー
小春(アコーディオン)
浦本さん(ギター)
木場さん(胡弓)

音頭バンド『カラカラ』ウェブサイト
http://www.shamisen.jp/karakara/index.html

カラカラ今後のスケジュール
浅草木馬亭:8月29日(土)
浅草木馬亭:11月28日(土)

エレキ という言葉がまだ新鮮に響いていた時代。
若き日のエレキ小僧達に熱狂的に迎えられた男。
言わずと知れたエレキの神様。

寺内タケシさん

僕のような無知な若輩者は語るのも憚れるほど偉大な人物であります。

が、先日偶然氏のコンサートを見に行く機会を得、
この際僕の考えを書いておくのもよいかと思い立ちました。

寺内さんに思い入れの強い方(全国各地にに寺内組と呼ばれる後援会が存在します)には失礼を承知で書かせて頂くのですが、僕自身寺内さんを始めエレキと呼ばれる音楽はどちらかと言うと苦手な部類に入ります。

これはきっと僕がドラムという楽器をたまたま演奏する事になったからだと確信しているのですが、
読んで字のごとく エレキ な訳で、取りも直さずエレキのための音楽だからです。

ワイプアウト、パイプライン、ブラックサンドビーチ、、
僕自身も頼まれて何度か叩いた事がありますが、
どれがどれだったか分らなくなる程ドラマーの役割は同じです。

ツツタタツツタ、ツツタタツツタ

です。

そんな事からあまり真剣に聞くこともなくこれまで生きて来たのですが、
日本的ビートの探求などと仰々しいタイトルでブログを始めてみると、
寺内さんの残した業績がいかに物凄い事かが身に染みて分ります。

彼は偉大なエレキギター奏者であると同時に、偉大な教育者であり、
また、日本音楽の偉大な推進者でもあります。


エレキ=西洋かぶれという図式はこの人には当てはまりません。
日本の民謡をエレキで表現し、はては「日本民謡大百科」なる10枚組のレコードまで作り上げてしまうなどという荒業は本気でなくては成し得ません。

本気で日本の民謡を想い、本気で日本音楽の行く末を考えたたればこそ成し遂げられた偉業だと敬意を表します。

そしてこれは僕がドラムでやりたいことの全てです。

少し飛躍して言い換えれば寺内さんにドラムという楽器を選ばせなかった事は、
戦後の日本音楽にとって一つの大きな損失であったのかもしれません。

日本のリズムは全て ツツタタツツタ で済ませられるような簡単なものではありません。
今年生誕70周年(古希)を迎えられるという寺内さんの「津軽じょんがら節」をコンサート会場で聴きながら、偉大な先駆者の後を追いかけて行く決意を新たにするのでした。


TERRY TERAUCHI OFFICIAL HOMEPAGE
http://www.teraon.co.jp/terry/



お神楽研究で著名な三上敏視さんからご紹介いただき、
板橋の田遊びを見に行ってきました。

行事が行われたのは、東京都板橋区の徳丸北野神社です。
この日は中野での路上ライブの後、荷物を片付けてそのまま現地へ向かうという強行スケジュールでしたが、それでも見に行けちゃうくらい都内に住んでいる人には気軽に行ける距離に位置しているのです。

普段は閑静な住宅街といったイメージの板橋区ですがそこで繰り広げられた光景は、未開の地で密かに行われていた少数民族の儀式といった趣きの、東京というより日本にいることも忘れさせるような強烈なインパクトを放つものでした。

板橋の田遊び写真を見ていただくとなんとも和気あいあいとやっているようですが、後で聞いてびっくり。この行事が行われるの今年でなんと
1014回目!!
毎年やっているという事ですから1014年も前から続いている行事なんです。
国の重要無形民族文化財に指定されているのも頷けますね。


そもそも田遊びというぐらいだから田んぼの周りかなんかでやるんだろうと思っていましたが、
言葉の響きからは想像できない程この行事はぶっ飛んでました(笑)

舞台の真ん中に太鼓を立てて置くのですが、それが田んぼなのです。

ん?


なんで太鼓が田んぼ?
全然似て無いじゃん。

一瞬、というかずーとそう思ってましたが、でも田んぼなのです。
この時点ですでにぶっ飛んでいますが、
当日もらったパンフレットから抜粋してその内容を紹介しましょう。

  1. 田歩調べ:大稲本と小稲本の唄導によって開始されます。まずは徳丸村の苗代の数を調べます。
  2. 田打ち:田んぼを「荒おこし」します。
  3. 田うらない:ニワトコに餅をつけた作られた鍬を使い、田んぼに見立てた太鼓を打つ仕草をし、田をならします。
  4. 代かき:牛の面をつけた「牛」役が、大稲本と小稲本にひかれて田をならします。
  5. 種まき:大稲本と小稲本によって、神田などに種がまかれます。
  6. 鳥追い:大稲本と小稲本が竹でできた「ささら」を鳴らして、神田などの苗代を荒らす鳥を追い払います。
  7. 田廻り:それぞれの田の苗の育成状況を見て廻ります。
  8. 春田うない:それぞれの田を掘り起こします。
  9. 田かき:再び「牛」が太鼓を廻り、田をかきます。
  10. 田ならし:田に肥料を入れてならします。
  11. 田植え:稲の苗に見立てた「早乙女」役の男子を大稲本と小稲本が白扇であおぎ、鍬取りが太鼓の上にのせて、高くほうり上げます。苗の生育と子どもの成長を祈っているものです。
  12. 呼び込み:もがりに向かって、宮司宅から松明に導かれながら。「ひるまもち」とユーモラスな人形「よねぼう」が踊りながら歩いてきます。これは農作業の昼休みを表現しています。その後、害虫や疫病を祓う「獅子」が登場し、「駒」と「矢(破魔矢)」が続きます。最後に「太郎次」・「安女(やすめ)」の夫婦があらわれます。安女は妊婦で太郎次と抱き合う仕草をし、五穀豊穣を表現します。
  13. 田の草取り:それぞれの田の草をとります。
  14. 田周り:稲穂の育成を確かめます。
  15. 稲刈り:大稲本と小稲本がニワトコに絵馬を付けた「鎌」を使って稲穂を刈り取ります。
  16. 稲むら積み:太鼓の上に田遊びの道具一式を積み上げて豊作を言祝(こほと)ぎます。最後に手締めを行って終了します。
いやぁ、もうほんとに。。
すごいでしょ?
要は今年一年の豊作を願ってシュミレーションしているわけです。
しかもこれだけ綿密に。
なんか豊作になる気がしますね。



色んなもので代用しているところが遊びなのでしょうか。
ご覧の通りやっている方々もとても楽しそう。

あまりに楽しそうだったので、この行事を行っていた方にこれは遊びなんですかと聞いてみると、

「いや、神事です!」


恐れ入りました。
今も昔と変わらず51の氏子さんの為にこの神事をおこなっているそうです。
これからも変わらず、楽しい神事として続いていって欲しいものです。
三上さん貴重な情報ありがとうございました。

板橋区の方が紹介されていたので、興味ある方はこちらも読んでみて下さい。
板橋ハ晴天ナリ
http://akatsuka-tokumaru.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/2009-f83a.html


三上敏視さんのブログ
http://d.hatena.ne.jp/micabox/

三上敏視さんのバンド「MICABOX」のサイト

http://www2.comco.ne.jp/~micabox/

幇間芸

これをホウカンゲイ読める人が今日本に何人いるでしょうか?

そういう僕も読み方が分からなかった一人ですが、
現在日本で4人しかやっていないというこの幇間芸も含め、
お座敷芸と呼ばれる芸能を集めた公演が有楽町のよみうりホールで行われました。

初春の賑わい・花のお座敷芸


元はと言えば現在通っている松本源之助社中の師匠が出演されるということで行ってみたのですが、師匠達の神楽囃子はもちろん、普段見ることのできないお座敷芸に時間も忘れて見入ってしまいました。

客層はやはり年配の方が多かったですが、チケットは完売!
貴重な芸能に沢山の人が興味を持っているのだと実感しました。

まず上のチラシを見たとき見慣れない「幇間」という言葉に、
写真のイメージから落語か?唄も歌うのかな?
と勝手に想像していましたが、お座敷と芸妓さんの芸の間を取り持つ
言うなれば何でも屋みたいな職業だそうです。

幇間芸をする人を男芸者、タイコモチとも言い、歌えと言われれば歌い踊れと言われれば踊り、
ものまねだって酌だってなんでもする。
こう書くとただのいじめられっこみたいですが、
あくまで笑いの主導権はタイコモチにあり、その巧みさには舌を巻きました。

僕は知りませんでしたが、じゃんけんのようなトラトラ(トラ・狩人・お母さんの3パターンで勝ち負けを決める)や野球拳もお座敷からできた遊びだったそうです。
※ちなみに服は脱がずお酒を飲む

今回の出演者は以下の通り

・土師流松本源之助社中(寿獅子舞、恵比寿大黒舞)
・悠玄亭玉八(幇間芸)
・櫻川七好(幇間芸)
・浅草芸妓連中(浅草芸者)


日本的ビートというよりただの芸能紹介になってしまいましたが、
現代では貴重なお座敷芸、お金のある人は浅草に足を運んでみてはいかがでしょうか。

風間雄太くん

ブラジルはサルバドールでの滞在中仲良くなった友達の一人で、
一時は同じ屋根の下二人で住んでいた事もある僕にとっては兄弟のような存在です。
そんな彼と昨日近くの居酒屋で飲みました。

その席上、
「光司郎くん、あの動画アップするっつて全然アップしないじゃん」
と、サルバドールで録画した動画の事を指摘された。

ああ、そうかあれか。
確かに。。

僕らがまだブラジルに居たころ、結婚した友人から披露宴で使いたいのでブラジルでの演奏シーンを撮って送ってくれと頼まれました。
そこでカポエラ(ブラジルの格闘技)をやっている雄太くんとカポエラ仲間であるメストリ・ミシェルにお願いし、ビリンバウ(カポエラで使う楽器)とのセッションを録画したのです。

動画はまぁ、これなんですが。



みんな黒いな~!?
あ、ミシェルは地黒か。

このセッションをする前ミシェルが言っていた事は今でも覚えています。

「俺はアフリカの伝統的なリズムじゃないとやりたくない!」

さすがは若くしてメストリ(カポエラの最高位)の称号を勝ち取っただけのことはある、
ルーツを大切にした誇り高い主張です。

まぁ、結果的にはアフリカとは関係ないリズムで彼が一番はしゃいでたんですけど(笑)



ただ、彼の要求が僕にはとてもショッキングで、
アフリカもいいけど日本のリズムで行こうよと日本人であるはずの僕がなんで主張できないのか。。
アメリカのリズムの方が乗りやすいよと、なんでアメリカ人でない僕が提案するのか。。
結果的にとても楽しかったけど、何だか自分が何者なのか分からなくなってしまうような、
そんな複雑な気持ちになった事を覚えています。


この時感じた事は今の活動の元になっているわけではありますが、
いつかまた日本的ビートで共演したいものです。

雄太くんは現在日本でカポエラの指導、普及に努めています。
カポエラの本場サルバドールでそれこそ本当に極限の状態で真剣に練習していた彼の姿は美しいものでした。

信じるものを見つけた人間は、ただもうひたすらに進むしかないのだと思います。
結果がどうであれその進んでいく過程はやっぱり美しいものなのだと思います。


新年明けましておめでとうございます。
本年もがんばって参りたいと思いますのでどうぞよろしくお願い致します。

平成21年年賀のサムネール画像のサムネール画像


自らのルーツを求めて
とか言うとカッコ良く聞こえますが、僕は詰まるところ実家がそれだと思います。
人類のルーツだとアフリカまで行ってしまう人もいるようですが、それは飛躍し過ぎです。
カッコ良かろうが悪かろうが、日本に住むほとんど人のルーツは生まれ育った故郷なのです。

"日本人"である事にこだわって矢継ぎ早に進めてきたこの企画ですが、
各方面のお祭りを見て廻るにつけ、いくら一つの国家であるとはいえ、
やはり元々は別々の国であった事を思い知らされました。

となると僕は日本人である前に生まれ育った町、広島県東広島市(旧豊田郡)安芸津町の
"安芸津人"たらねば、自らの自己同一性は保持できないことになります。

こんな回りくどい表現をすると、なんだか頭だけでで考えて地元に行き着いたように思われるかもしれませんが、烏山・妻沼・青森・岸和田等、地域力の強い土地で感じたヨソモノ意識は僕自身の気持ちを猛烈に実家へと向かわせました。

原田欣二さん

今回の帰省ではこの人に会って話が聞けるというのは大きな楽しみの一つでした。
というのも原田さんは安芸津が誇る芸能のひとつ、安芸津町盆踊り唄で太鼓を叩いている第一人者なのです。

安芸津の盆踊り唄は、帰村(きそん)一つ拍子豊年踊(ほうねんおどり)の3曲から成り、中でも帰村は1978年にビクター音楽産業株式会社からリリースされている「正調 広島の民謡」にも取り上げられた名のある唄です。

※ちなみにこの帰村の録音で太鼓を叩いているのが原田さん、囃子を担当しているのが僕の祖父にあたる菅田猛(故人)です(ふふ、思いっきり自慢)。

原田欣二 安芸津 帰村 一つ拍子 豊年踊り原田さんによると、大洲秋人という方が古くから親しまれていた安芸津の民謡や酒造りの唄に安芸津の風土・町民を称える歌詞をつけ、若柳きっすいという女性が振り付けて現在の形になったのだそうです。

安芸津の三津小学校(現在では安芸津中学校でも)の運動会で毎年披露され、今年で35周年になるそうです。

もちろん僕も小学生の時踊っていましたが、いつも練習が楽しみで先生が
「はい、やり直し~」

と言うと
「え~、たいぎい」
とか言いながら実は密かに心の中で小躍りしていたのを覚えています。



この3曲(特に豊年踊り)は大好きで今でもたまに鼻歌で歌ったりしていましたが、
久々に聴くとやっぱりたまらんですね(笑)
ちょっと違うかもしれませんが僕にとっては懐かしのヒット曲って感じです。

昭和62年広島民謡調査 安芸津町民謡 オープンリール原田さんからは昭和62年広島民謡調査の時の貴重な音源をお借りしましたのでお聞かせしたいのですが、いかんせんオープンリールなので、デジタル化するまで少々お待ち下さい。








書きたい事は山ほどありますが、地元の事は小分けにしながら何度も書きたいので今回はこの辺にしておきます。

27歳になってやっとこんな心境になったというのは恥ずかしい限りですが、
こんな事が書ける僕なんかは幸せな方で、地元に芸能が残っていない又は地元と呼べる場所を持っていない人達が存在するのもまた事実です。
そういう人達に対して僕は偉そうな事は言えませんが、
せめて自分にそういう土地があるのであれば大事にしていきたいと思うのです。

ブラジル音楽の原点はSAUDADE(望郷)ですが、個々それぞれ自分にとっての故郷を想う。
そのとき感じる何ともいえない懐かしさ・寂しさは、万国共通なのではないでしょうか。


安芸津町の紹介
http://www.hh-kanko.ne.jp/area/akitsu.html

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