譜面: 2008年9月アーカイブ

祭本来の姿

とでも言うのでしょうか。
先日訪れた岸和田のだんじり祭ではごく日常の延長線上にある、町対抗の大運動会のような印象を受けました。





岸和田城岸和田藩・岡部氏の城下町として栄えた岸和田は、明治以後もその立地条件の良さから大阪のベッドタウンとして発展。

にもかかわらず岸和田城をはじめとする情緒ある町並みが数多く残り、こんな所に生まれたらきっと離れたいなんて思わないだろうなと、よそ者ながらに思ってしまいました。


あまりにも理想的な発展の仕方をしたお陰でしょうか、岸和田には他の町で見られるような保存会の類は存在しません。
そればかりか、だんじりに参加する町団体はまだなお増え続けているそうです。

だんじりの全てが分かる!
という言葉に乗せられて立ち寄っただんじり会館なる資料館の販売店では単にだんじり祭のものだけでなく、各町のロゴが刺繍された巾着袋等、町ごとのグッズが並べられていたことにも驚かされました。
この元気の良さを前にしては伝統という言葉すら無意味に響いてしまいそうです。

さてこの資料館。
最上階には特設スペースがあり、簡易版の山車に乗って演奏することができるのです。
お、何やら親子連れが興味を示しているな~とか思っていると、
さっきまで手をつないでもらっていた少女が太鼓を叩き始めました。

うぅ、上手い

地元の子だったのでしょうか?
それにしてもうまい!
一瞬自分の目を疑いましたが、紛れも無い現実でした。
さっき道で聞いていただんじりのリズムです。
そうこうしている内に近くに居た地元の高校生らしき四人組が演奏を始めました。

うぅぅ、もっと上手い


同じフロアにある3Dだんじり上映の為並んでいたのですが、これを録らなきゃ来た意味ねえ!
と思い3Dは後回しにして撮影させて頂きました。



あとで少しお話を聞かせて頂きましたが、こちらも昨夜寝ないで岸和田に着いたこともあり、
ろくな質問ができなかったのが悔やまれます。
演奏していたのは、

大太鼓:胡摩崎さん 
鐘:仲塚さん
笛:貝さん
小太鼓:田中さん


の四人で、小学校の頃から演奏しているとのことでした。
突然声を掛けたのにもかかわらず携帯で録っただんじりの映像を見せてくれたり、知らないおじさんに付き合ってくれてどうもありがとうございました。

お祭りが町の人にとって(負の意味での)特別なものではなく、お祭りがお祭りであることも忘れてしまう程生活に密着していることを感じさせられた岸和田だんじり祭。
経済の発展が必ずしも伝統的な行事に悪影響を与えているわけではなく、それを運営していく側、行政の力によってもまだまだできる事はあるのではないかと考えさせられる道行でした。

岸和田だんじり祭

http://www.city.kishiwada.osaka.jp/danjiri/

ごしょがわらたちねぷたと読みます。

恥ずかしながら青森に来るまではねぶた祭りと言えば青森だけだと思っていましたが、
この時期五所川原、弘前、黒石をはじめ青森県内でなんと30を超える地域でねぶたが行われているそうです。おぉぉ、なんたる。。

弘前ねぷたねぶた、ねぷたと2通りの呼び方がありますが、タクシーの運転手さんは、

「どっちも一緒ですよ、元が一緒だから。発祥は弘前らしいですがね。」
とおっしゃっていました。
写真は弘前のもの。




語源は「眠たい」から始まってねぶたい、ねぷたい、、、、ねぶた!
みたいな感じだそうです。
もともと七夕の灯籠流し等から影響を受け、夏の眠気を流すといった禊祓(みそぎはらえ)の意味から始まったとされています。。

五所川原のねぷたはその大きさが特徴で、高さは7階建てのビルに相当する22m!!
総重量は約17tという言い方は悪いですがバケモノとしか言いようのない大きさのねぷたが街を練り歩くことで有名です。
このサイズのねぷたは最近になって作り始めたのではなく、江戸時代後期から大型化がはじまり、明治2年(1874年)には既に20m近いねぷたが登場していたとのことです。ほら
しかし、電線が市街地に張り巡らされたことにより、巨大ねぷたの運行が困難になり小型化を余儀なくされました。

時は経ち平成5年。
明治・大正期のものと思われる台座の設計図が発見された事がきっかけで、復活への機運が高まり、ついに平成8年立佞武多として蘇ったのです。

五所川原市内五所川原市民のねぷたにかける熱意はすさまじく、行政もバックアップし運行の妨げになる電線を地下に埋める工事まで行いました。
ほら⇒

僕はここまでやってしまう五所川原市に拍手を送りたい!
立派過ぎる!かっこいい!
お金をかける所を知っています。


その巨大ねぷたの運行は僕の稚拙な文章より、見てもらった方か早いでしょう。
「ヤッテマレヤッテマレ」の掛け声と共にお囃子の集団が通り過ぎた後、
ものすごいのがやってきます。



どうです? でか過ぎて全体がカメラに収まりません。。
僕らはただ立ちつくして
「うわ~、あ~、お~おお~、え~?」
とアホみたいな声を出すことしかできませんでした。
アホみたいな感想だけでは申し訳ないので、簡単ですが譜面をアップします(汗)

五所川原立佞武多お囃子のドラム譜

シンプルですが、応用次第では色々使えると思います。(8分音符は3連中抜きです)


五所川原ではあすなろ大太鼓という直径3.2メートルもある大太鼓も登場したのでそれも紹介しておきます。





ね、大きいでしょ?
大きさでは秋田県北秋田市の「綴子神社例大祭」に登場する大太鼓に一歩譲るようですが、
昭和52年に初登場以来夏祭りには欠かさず登場しているのだそうです。
さすがにこの大きさになると叩くのが大変そうで、江戸のお囃子の様にテンテケテンテケ叩くわけにはいきません。上から下から長いバチでゆったりと重いビートを奏でています。

さて、この日最後は交差点で3体のねぷたが顔を合わせ、金木町(現在の五所川原市)出身の吉幾三さんが特別出演して熱狂の中幕を閉じます。
単純に比較はできませんが、どれだけ国民的なスターになってもカーニバルでは必ず地元サルバドールに戻ってくるブラジルのIvete SangaloGilberto Gilのような印象を受けました。
ポーズにせよ自分の土地を大切にする姿には共感を覚えずにはいられません。

青森での2日間を振り返ってみて、地域の文化・つながりの大切さを改めて痛感しました。
僕も含め若い世代の伝統文化離れが顕著だと言いますが、
青森・五所川原どちらの祭を観ても、中心となって盛り上げているのは他でもない若者達でした。

ねぷたの様に華やかな文化を持つ地域ばかりではありませんが、自分達の土地で自分達の文化を守る、伝えていくという姿勢は持ち続けていくべきだと思います。
子供の頃から当たり前のようにお祭りと関わり、また新しい世代にその楽しさを伝え続いていく。
ねぶた祭りに地域文化の一つの理想を見せられたようなそんな2日間をでした。

五所川原立佞武多
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