一応今後の大きな方針として2月3月で今ある音源を発表できるクウォオリティーまで上げる。
これが直近の目標です。
みんなが練習してくれている今だから言っておきたいけど、
僕らがやってる事は明治維新で一旦断絶した日本音楽の進むべき道をもう一度切り開く大事業です。
楽しむ事は絶対忘れちゃいけないけど、誇りをもって臨みましょう。
これからの日本音楽の礎を築く可能性を無駄にしたくないのです。
どうぞ、よろしくお願い致します。
2010年1月23日
「陰翳礼讃」という谷崎潤一郎の随筆があります。
テキストがネットで公開されていたので前回練習したメンバーには印刷して渡したのですが、
その中にこういう一節があります。
少し長いですがご覧ください。
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私はかつて「文藝春秋」に万年筆と毛筆との比較を書いたが、
仮りに万年筆と云うものを昔の日本人か支那人が考案したとしたならば、
必ず穂先をペンにしないで毛筆にしたであろう。
そしてインキもあゝいう青い色でなく、墨汁に近い液体にして、
それが軸から毛の方へ滲み出るように工夫したであろう。
さすれば、紙も西洋紙のようなものでは不便であるから、大量生産で製造するとしても、
和紙に似た紙質のもの、改良半紙のようなものが最も要求されたであろう。
紙や墨汁や毛筆がそう云う風に発達していたら、ペンやインキが今日の如き流行を見ることばなかったであろうし、
従ってまたローマ字論などが幅を利かすことも出来まいし、漢字や仮名文字に対する一般の愛着も強かったであろう。
いや、そればかりでない、我等の思想や文学さえも、或はこうまで西洋を模倣せず、
もっと独創的な新天地へ突き進んでいたかも知れない。
かく考えて来ると、些細な文房具ではあるが、その影響の及ぶところは無辺際に大きいのである。
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