実演の最近のブログ記事

前田悠太郎

以前チンドン屋さんの取材で楽士として登場してもらったこの人に、
今回は八木節で共演してもらいました。
彼との付き合いは学生時代からあるのですが、ホント上手くなりましたよね~。
そしてこの前田さんなんと八木節の本場足利の出身なんですね~☆
いや~本場の方にわざわざお越し頂いて贅沢の限りです。

演奏の方ですがもうこれは観てもらった方が早いでしょう。



歌は二人とも素人ですが、それなりにまじめに歌おうとする僕と、
本場の余裕からかかなりアレンジして歌う前田さんの対比が面白いかと思います。
ただ参考にした音源は「ふるさとの民謡 第5集 [関東編]」であるため、
歌詞は桐生で歌われている内容(国定忠治)になっています。
中々足利の音源ってないんですよね。。
情報あればお願いします。

最後はスタジオの時間が来てしまってスタッフの方が入ってこられましたが、
一番乗っていたので最後までやらせてもらいました。
ビックリされたでしょうね、ほんと失礼しました。
※一応スタッフの方に動画アップの許可は頂きました(笑)

演奏の後、前田さんを僕の部屋に招き二人で撮った動画を見ていたのですが、
この異様な雰囲気での二人の会話が結構面白かったので練習風景もアップしておきます。





なんだか変な話ですが、
音楽ってこんなに楽しかったのか。。
という気持ちを久しぶりに味わいました。

ただひょっとすると八木節の保存会の方の中にはこれを見て、
「八木節を侮辱してんのか!」
と、怒りをあらわにされる方もいらっしゃるかもしれません。
ですが、僕らは本当に八木節を好きなんだということだけは理解して頂きたいと思います。

まだまだ勉強不足ですが、日本の民謡の中でも八木節は僕らの世代にとって
一番馴染みやすいタイプの音楽だと思っています。
シンプルな構成、一定のリズムのループ、アドリブの要素、これらを全て備えている民謡はありそうで中々ないです。
現代のダンスミュージックに欠かせない要素を八木節は大正時代に既に持っていたわけです。

ついでにこれは言わせてもらうと、日本の伝統音楽のガイドブック(?)的なものを読むと必ず書いてある保存会なるものがある時点で既にその音楽は終わっている主張。
あれは一部分では当たっているでしょうが、ひとつ見落とされがちな点を指摘しておきます。

それは気合いです。

足利で見た朝倉八木節保存会には確かに気合いがありました。
これはうちが本場なんだという誇りがありました。
そういう側面を無視して音楽をただ音楽として捉えたら何のロマンもありません。
僕はそう思います。
大学のサークルでよくあるジャズ研究会も今やジャズ保存会。
ヴィジュアル系の音楽だって100年後には保存会ができているかもしれません。
保存会という言葉尻だけを捉えてその音楽を判断するのはあまりに短絡的すぎると思います。
気合の度合いによっては時に保存会はロックやパンクを凌駕するのです!

少しは僕の八木節に対する想いが伝わったでしょうか?
つーか朝倉八木節保存会、マジかっこよかったっすからねぇ。

さて、このコンビ。
これで終わるのも寂しいので、今後路上等で演奏したいなと思っています。
日本の芸能の原点は大道芸ですからね。
まぁ基本的に八木節しかやらないですけど。。


前田さんブログ(ゆうたろう日記)
http://yutarosax.cocolog-nifty.com/blog/
  (追記)

「陰翳礼讃」という谷崎潤一郎の随筆があります。

テキストがネットで公開されていたので前回練習したメンバーには印刷して渡したのですが、
その中にこういう一節があります。
少し長いですがご覧ください。

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私はかつて「文藝春秋」に万年筆と毛筆との比較を書いたが、
仮りに万年筆と云うものを昔の日本人か支那人が考案したとしたならば、
必ず穂先をペンにしないで毛筆にしたであろう。
そしてインキもあゝいう青い色でなく、墨汁に近い液体にして、
それが軸から毛の方へ滲み出るように工夫したであろう。
さすれば、紙も西洋紙のようなものでは不便であるから、大量生産で製造するとしても、
和紙に似た紙質のもの、改良半紙のようなものが最も要求されたであろう。
紙や墨汁や毛筆がそう云う風に発達していたら、ペンやインキが今日の如き流行を見ることばなかったであろうし、
従ってまたローマ字論などが幅を利かすことも出来まいし、漢字や仮名文字に対する一般の愛着も強かったであろう。
いや、そればかりでない、我等の思想や文学さえも、或はこうまで西洋を模倣せず、
もっと独創的な新天地へ突き進んでいたかも知れない。
かく考えて来ると、些細な文房具ではあるが、その影響の及ぶところは無辺際に大きいのである。

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ぼくが伝えたい、再現したいのはまさにこの点です。
この随筆は彼女が教えてくれて最近知ったものですが、
これを知る1年以上前に僕自身がブログに書いたのがこれです。

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僕が譜面を起こす理由は例えばこういうことです。

今まで締太鼓を叩いていた日本人が西洋の新しい楽器を初めて手にした時のことを考えてみて下さい。
すぐにアメリカ人の真似をしてジャズを演奏するか、今まで叩いてきたリズムを試してみるか。
どうです?後者の方が独自の新しいものに発展する可能性があると思いませんか?
そういうチャンスが一度はあったわけです。
 
戦後日本は前者の道を選びますが、僕はロマンチストですから後者の道を歩んだ日本の音楽が聴いてみたい。
どういう発展をしていくのか考えただけでもワクワクします。
そのために参考になるような譜面の紹介という意図で載せました。

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口で言ってるだけじゃ誰も見向きもしないから、
サックスの前田さんを誘って実際にやってみたんです。
それが思いのほか良かったと。  (2010年1月21日)
                                                                                      
                                                                            

本場桐生で八木節。

今年に入って4回目の桐生訪問は、
我が菅田米穀店芸能部にとって大きな一日となりました。

菅田米穀店芸能部@桐生青年祭












写真下の左から二人目、丹羽幸司さんのお招きで桐生市青年祭に出演してきました。

もう丹羽さんにはお礼のしようが無い程お世話になりました。
当日の会場案内から、説明会への参加。
そしてなんと僕らの出演に際して有志の方々からのカンパまで募って頂きました。

僕らもあんな大人になりたいね~

とか言いながらもう立派な成人なんですけどね。

折角なのでご支援頂いた方々のお名前を紹介させて頂きます。
※堤燈はないのでブログで失礼致します。

白椿 越次郎 様
小潟 喜八 様
菊谷 智巳 様
柳田 昌信 様
貝原 隆三 様
書上 文雄 様
小野 善三郎 様
向田 博文 様
須藤 英之 様
大塚 隆司 様
小太刀 健市 様
出島 波ニ郎 様
藤掛 達也 様
高橋 重雄 様
関口 博文 様
丹羽 幸司 様


本当にありがとうございます。

カメラの位置がもう少し右だったらな~。。
とかあるんですけど、せっかくなので動画をどうぞ。

八木節

本場桐生での初披露です。



豊年踊り(安芸津町盆踊り)


僕の地元安芸津町の民謡もやらせて頂きました。



この日は我らが瀧田先生による「東京音頭の踊り方」講座も行いましたが、
あまりに唄がひどいので割愛させて頂きます。。

なんと言いますか、僕らがやってきた事は間違っていなかったなと。
※そもそも間違いだなんて思ったこと無いですけど(笑)

民謡は地方の方々のもの。
僕らは借り物で演奏させて頂いている。
民謡が一人歩きした時点でもう民謡じゃない。


今回は本場の方々に敬意を払いつつ活動を続けてきた事による、
一つのご褒美だったと思っております。

※地元の新聞「日刊きりゅう」でも紹介して頂きました!

日刊きりゅう




















まだまだこれからの我が芸能部ですが、驕らず、焦らず、当たり前のどこにでも居る日本人として、
日本文化及び民謡の素晴らしさを皆さんと共有できたらなと存じます。

丹羽さん並びにご支援頂いた方々、亜流の八木節で踊っていただいた本場の方々に改めて感謝致します。
どうもありがとうございました。

桐生市立青年の家
http://bit.ly/1CVa6t
安芸津町三津盆踊り唄

僕の実家の民謡であるこの曲を我が芸能部のレパートリーとすべく、
今回は踊りの瀧田くん、まりあちゃんを連れ実家安芸津町に戻って参りました。

毎年我が母校三津小学校運動会で披露される三津盆踊りを生で見てもらい、
その後保存会の方々直々に踊り・太鼓を教えてもらうという贅沢過ぎる程の日程です。

では早速、現役三津小学校5・6年生による盆踊りをどうぞ。
純粋にがんばっている子供達の姿を見ていただければ光栄です。

3曲メドレーで15分弱あるため、動画を2つに分けています。

「帰村・一つ拍子」




「豊年踊り」



動画では分りづらいかもしれませんが、
安芸津の盆踊りはただ輪になってぐるぐる回るだけではありません。
左右から合流したかと思うと十文字・輪・四角とめまぐるしく陣形が変わります。
その辺りに注目して見て頂くとまた興味深いのではないでしょうか。

当日は小学校時代仲の良かった同級生にも再会できましたが、
2人で当時を振り返りながら運動会を眺めるのは中々感慨深いものがありました。

今でもこうして盆踊りが続いていることを誇りに思います。
教員の方々並びに保存会の方々に感謝です。

そしてこれからは僕らの世代が盛り上げていく所存です。

菅田米穀店芸能部さて三津小の盆踊りを満喫した後は、
菅田米穀店(本部?)前で記念撮影。

今後の芸能活動にとって欠かせない、なんとも頼もしい二人です。

じいちゃんが生きてたらどう思うだろうな。。





さて、ここからが本番。
この日のために集まっていただいた、
市之町盆踊り保存会 の方々から直々に踊りの指導です。
それまでリラックスムードだった二人も真剣な表情で話を聞いていました。

以下がメンバーの方々
*順不同

地元がが誇るいわば三津盆踊りのオールスターです。

原田欣二さん
南清和さん
柄宣行さん
坂井敏雄さん
宮本教子さん
中村和彦さん
豊田昭洋さん


ビッグバンドをやっている人からすれば、カウント・ベイシー楽団にわざわざ集まってもらって教わるようなもの。なんと贅沢な。。

トータルで2時間強でしたが、最終的にはここまで踊れるようしっかり教わりました。





小学校では教えてない踊りも含め、全部で5パターンも踊りが存在します。
安芸津の祇園祭で町を練り歩く大名行列のやっこさんの動きが取り入れられていたり、
掘り下げれば踊りにも沢山の意味が込められていて興味深いです。
この辺りは瀧田くんにお任せですね。

3曲メドレーで演奏されるというのは日本の民謡の中でも特殊だと思いますが、
その演奏形態でも安芸津の盆踊りは変わっています。

まず何よりメロディー楽器がありません。

断片的にしか太鼓が出てこない、もしくはそもそもが太鼓がない、
といった民謡が多い中、太鼓しかないってのはかなり異色ではないでしょうか?

詳しくはまた別の機会に書きますが、「帰村」のリズム、これは2・4の変拍子です。
「一つ拍子」は読んで字のごとくドンとカッしか存在しない一つの拍子でドンは踊りに合わせます。
最後の「豊年踊り」はハッキリとした拍をもったリズム。
小泉文夫氏の体系化した八木節様式と言う部類に入るのだろうと思います。

余談ですがこの八木節様式で演奏されるリズムこそが、
現代の音楽に欠かせないビートまたはパルスと呼ばれるものです。
僕はここを追及していきたい。


これこそが全世界で通用するいわば汎用的なパターンです。
覚えてしまえばどこまでも応用が利きます。


なんで日本的なことをやりたいのにドラムでやるのかと最近よく聞かれますが、
当たり前の話ですが太鼓でやったらまんまになってしまうからです。

太鼓は持っていなければ演奏できませんが、リズムは知っていればどこでも表現できる。
ボンゴで演奏しようが、インドのタブラで演奏しようが、バケツを叩こうが、膝を叩こうが、
日本のリズム を表現できるんです

重要なのは使う楽器よりも、演奏する内容だと思ってます。
そりゃ、もちろん太鼓が一番いいっすよ。
けど外人さんは中々手に入れられない。
でもバケツくらいならどの国だってあるでしょう。

え~、話を戻して安芸津町の盆踊りですが、
地元にその可能性を秘めたリズムがあるというのは何とも誇らしく、
今後様々な場で発表していきたいと思います。

最後になりましたが、
お忙しい中お集まり頂いた市之町盆踊り保存会の方々、
動画UPを許可していただいた校長先生、PTA会長さん、
応援に駆けつけていただいた鈴木さん、
どうもありがとうございました。

毎年8月15日は安芸津町三津盆踊り!
機会があれば是非安芸津町に!



東広島市立三津小学校
http://www2.city.higashihiroshima.hiroshima.jp/~mitsu-sho/

類は友を呼ぶ

と昔から言うのか最近言い出したのかは知りませんが、
同じような志を持った人に出会う機会が多くなってきました。

現在おそらく唯一の音頭バンドである、
カラカラ のメンバーとの出会いもそうでした。

音頭バンド「カラカラ」先日僕宛に一通のメールが届きます。

話によるとバンドのドラマーを探していたところ、チンドン屋の高田さんから紹介され僕のブログを見たとのこと。

これはバンドにぴったりだということで、白羽の矢が立ったわけです。




音源を聞かせてもらうと皆恐ろしく上手い。
ただ最初は正直、音頭か。。
日本の音楽はダサいと言う印象を若者に植え付けた張本人と言っても過言でない音頭をあえて看板に掲げてやるのか、、うぅ、、と思ったのも事実です。

しかし、団長・萩原遼さんの
「だからこそ音頭をやる、音頭には日本の音楽の旨みが詰まっている」
という男気溢れる主張にもっともだと思いっきり納得させられ、結果的に参加を決意しました。

それから約一ヶ月、ちょこちょこ練習しつつ先週早くも本番を迎えました。
皆さん忙しい方々なので全員で演奏するのはこれが始めて。
会場はなんと文京区の銭湯 月の湯

ご主人の粋な計らいとメンバー及び関係者の涙ぐましい努力でこの本番を迎えたわけです。
実際の演奏からの一コマを紹介します。



スタンド・バイ・ミーの日本語&音頭カバーで「君がいれば大丈夫」
少ない練習でこれだけ息が合うのは皆さんの力量もさることながら、
やはり 日本人のリズム だからなのでしょうか。

こういった活動は音頭に決着をつけるという意味でとても意義があり、また楽しくもありました。
ただ僕にはどうしても拭いきれないリズムの感じ方というものがあり、
今までヘタクソながらもドラマーとして感じてきたグッとくるリズムへの執着心も捨てきれず、
結局このバンドを抜けさせて頂くことにしました。

インチキ民俗学者になるんだと割り切っていたつもりだったのに。。
割り切れていない自分を情けなく思いつつ、このバンドを断ったんだから下手な事はできねぇぞ
と気持ちを引き締めてこれからの活動を続けていく所存です。


カラカラメンバー

萩原遼 (三味線・団長)
さかもとりえ (唄)
廣瀬拓音 (ベース)
佐藤 "親方" ゆみ (ちんどん・コーラス)
鈴木 "すずめ" 恵 (お囃子・コーラス・鳴物)

サポートメンバー
小春(アコーディオン)
浦本さん(ギター)
木場さん(胡弓)

音頭バンド『カラカラ』ウェブサイト
http://www.shamisen.jp/karakara/index.html

カラカラ今後のスケジュール
浅草木馬亭:8月29日(土)
浅草木馬亭:11月28日(土)

いや~疲れた。。
けど気持ち良かった~!!

参加して頂いた方々、並びに飛び入り参加して頂いた方。
また暖かいご声援を送って頂いた方。
本当にありがとうございました。


今回は3日、6日とも精も根も尽きるまでがんばりました。
総集編ということでまず八木節の動画をどうぞ。
*注意:大音量でお聞き下さい。



前回志野まりあさんは手踊りだったのですが、なんと一週間で傘踊りをマスターし、かつ瀧田師匠のアレンジで僕らの演奏に対応した八木節の傘踊りを披露してくれました。
気合が違います!!
前さんも最高!動画を撮ってくれたナオちゃんの映像センスにも脱帽です。


続いて東京音頭
*映像と音に少しズレがありますが映像編集段階の不具合です。ご了承下さい。



瀧田くんのお母様にあたる日本民踊石川流社中の本部教授、
石川千桧香師匠
に贅沢にも参加して頂きました。

さすがというか、もう貫禄が違いますね。
今回沢山の方に見て頂きましたが、お師匠効果はすさまじいものでした。
日本伝統芸能のお偉方でありながらこれだけ飾らない方がいらっしゃるという事がなにより衝撃でした。

小さなお子さんからお年寄りの方まで(もちろん若い方も)楽しんで頂けたのは僕らの強い気持ちもさることながら、師匠のお力添えのお陰でございます
ハハ~。

今回は長丁場だっただけに色んなエピソードがありました。
上智大学の落研在籍でアメリカ出身の方が飛び入りで一席打ったり、
福岡出身の方に炭鉱節を歌っていただいたり。

また6日は雨だったのですが、土砂降りの中警官に止められた僕らを
「に~ちゃん達雨の中頑張ってんだから、やらしてやれよ!」
と、本気で僕らをかばってくれる方。
今持ち合わせががないからカンパの代わりにとカンパンを差し入れてくれる方。

皆さん十人十色でしたが、とても楽しい経験ができました。
最高のGW、もうただただ感謝。
CDを配ってくれた菱沼くんと瀧田くんの友達にも感謝。

皆様本当にありがとうございました!


菅田米穀店芸能部












最後に警官に演奏を止められた事について

僭越ながら日本のためにやってるつもりなのに日本の権力に止められてしまう。
とか言うのは言いがかりもいいとこなので、次回中野でやる時はちゃんと許可取ってやります。
中野警察署の方、JR東日本の方本当にすみませんでした。
でもも~ちょっとやらせてもらいたかったな~。。



瀧田美成

こと瀧田哲成くん。
今回は彼に参加して頂きました。

くんなんて言っちゃいけませんね、

日本民踊石川流社中連合会助教授
ビクター民踊・舞踊連盟指導員


ん~、偉い方なんです。

ただの偉い方というのは守りに入るものですが、彼はガンガン攻めてます!
「東京音頭の踊り方*」で検索すれば一発です。
民謡とはなんたるかをちゃんと理解されてます。


さてさて、東京音頭です。


日本人でこの曲を知らない人は珍しいのではないかというくらい有名な民謡ですが、
八木節等の自然発生的な民謡ではなく旧東京市のために作られた、いわゆる新民謡です。

もはや東京市の民謡という範疇を超え、盆踊りの定番曲として日本各地で踊られています。
が、
やっぱりそこは東京生まれ東京育ちの瀧田先生に踊っていただいてこそ意味があるでしょう!
お弟子さん(志野まりあさん)も踊りに華を添えてくれました。

菅田米穀店芸能部CD今回は前回の反省を含めCDも作りました。

これを計20枚。前日深夜まで筆ペンで書きあげ、さすがにちょっとくらいはお金もらってもいいかなと思いましたが、日曜日の夜という早く家に帰りたい時間帯にわざわざ足を止めて頂いたお客さんを前に、
500円です!
とは言えませんでした。

基本的に無料で差し上げたのですが、お金を置いていって下さる律儀な方もいらっしゃいました。
ですが何よりCDを通して、色んな方と交流ができたのが嬉しい事でした。
これからは習字も一つの課題だな~。。

最後にもう一度瀧田くん。

彼とはyoutubeにアップした八木節をきっかけとして繋がったのですが、
ネットで繋がる必要もないほどご近所さんでした(番地まで一緒)。
そういう点で中野という町にも感謝をしなくちゃなりません。

やっぱり次回は中野音頭かな~なんて話してますが、どうなることやら。
日曜日遅い時間まで付き合ってくれたサックスの前田さん、志野さん、瀧田くん、動画を撮ってくれた中野さん、そして見てくれた方々に改めて感謝致します。

次回は5月の3日辺りを予定しています。
興味ある方は是非!
いつでもご連絡下さい。


瀧田くんのブログ
現代に一岩を投じる、若き日本舞踊家の野望。
http://blogs.yahoo.co.jp/ttetsunari


瀧田先生による東京音頭の踊り方



安芸津町のグルーヴマスター
と言えば、この人!


当ブログ早くも2回目の登場になる原田欣二さんです。
前回はお話を聞くだけで終わってしまったのですが、
今回はそのテクニックを余すところなくご披露頂きました。

まずは安芸津町盆踊り唄(豊年踊り)



後半のフレーズを叩く時の原田さんに注目して頂きたいのですが、微妙に足の位置を変えています。
やってみると分かりますが、太鼓の皮と淵を叩き分けるのにそのままの位置では叩きにくいのです。
パッと見そんな高度は事はやっていないように思えますが、さりげない足の運び方には年月の重みを感じますね。

ちょっと脱線しますが、こういう映像はマニアックな心をくすぐるものがありまして、何年か前にリットーミュージックから発売されたJB'sのドラマーの教則ビデオ「聖典 ザ・ファンク・ドラム」を思い出したりもします。
どちらにしても個人的には図書館で保管してもいいくらいの価値ある資料であると思っています。

さてお次は安芸津町盆踊り唄(きそん、一つ拍子)



「きそん」は「カッテンドン」と頭から入り、「一つ拍子」は4回端を叩いてドン、6回叩いてドン!
それにしても、まさかこんな叩き方をしていたとは!

「派手にやりすぎてテンポが遅~なるゆ~て、歌い手のひとによ~ゆわれよ~たわいね」

と、裏話も聞かせて頂きましたが映像で得られる新たな発見は思いの他大きいようです。

この日はお昼から夕方にかけて色々な話を聞かせて頂きましたが、
そのお話だけ別で録音したかったくらい、日本昔話ならぬ安芸津昔話のオンパレード。
榊山神社の福祉会館から来島どっくが見えますが、あのガソリンスタンドからセブンイレブンに続く道は埋め立てたもので、元々あそこは海岸だったそうです。
(これは地元の人じゃないと分からんじゃろうね。。)

本当に綺麗で榊山神社からの景色が好きだったと原田さん。
言葉の端々に安芸津に対する並々ならぬ郷土愛が感じられますが、そういう景色を実体験として見て来た人達にとっての地元は僕らが考える以上に大切なものなのだろうと思います。

埋め立てられた道路を眺めながら昔の景色はどうだっただろうかと想像すると、
悔やんでも悔やみきれないくらい素晴らしい景色が広がってきます。
とは言えまだまだ沢山の自然が残る安芸津町。
誤った方向へ持っていかないようにするのは僕らの世代の大きな責任だと思います。

お後がよろしいようで。
今回も原田さん、どうもありがとうございました。

やろうやろうと言いながらなかなか実現しなかった路上ライブを
このたび東京中野駅前で行いました。

団体名は前々から構想があったのですが、
菅田米穀店芸能部 (かんだべいこくてんげいのうぶ)
に決まりました。
というか決めました。
菅田米穀店芸能部 八木節の演奏
菅田米穀店というのはズバリうちの実家の米屋なのですが、スーパーの台頭であったり、都心への人口の流出により存続の危機に瀕しております。
もう田舎で米を売っているだけでは厳しい状況ではあるのです。

とは言え、先祖代々続く商いですし、せめて名前くらいは残していきたいという気持ちからこの名前にしました。別に奇をてらっているわけではないのです。

日本の様々な芸能を扱っていくので、メンバーはその都度変わってしまうとは思うのですが、バンドではなく部活という括りで考えれば案外すんなりいくのではないかと。。


さてさて、何はともあれお客さんの反応がみてみたいと気合を入れて演奏に臨みました。
しかし、一曲やってみて気づいたのですが、それなりにお客さんは集まったものの、いったい何をアピールしてよいのか自分自身よく分っていませんでした(笑)
お金を儲けるためではないし、バンドの宣伝でもない。
楽しんでもらいたいだけなんだけど、やりっぱなしじゃお客さんは帰っちゃうし、なんともせつない。。
けど何をしゃべるのか?(笑)

結局意外と子供にウケがいいことに気づき、
「叩いてみる?」
と誘い込みをかけてみる。
するとこれまた意外に恥ずかしがらず、すんなりドラムの椅子に腰掛け楽しそうに叩く。
親御さんにも喜んで頂き、こういう交流もいいかも。
とか思いながらもなんか違うな~と。

なんか僕らだけでやってるってのを取っ払いたく、
「どなたか八木節唄える方いらっしゃいませんか~?」
「踊れる方でも結構ですよ~!」

と、呼びかけてみるがそんな人はそうそう中野にいない。。

「このドラムのリズムはですね、鉦をシンバルで鼓をスネアで大太鼓をバスドラで。。」
と、説明をしたりもしてみましたが、へ~そうなんだといった反応で終わり。



この動画では「日本のリズムはダサいってイメージがあるかと思いますが、
こんなにカッコイイものもあるんだってことを知っていただければ幸いです」

てなことを言っているのですが何か物足りず名刺を配ったりしてますね(笑)
結局欲しいと言ってくれた小学生にあげましたが、きっと意味分かんないだろうな~。
もっとスムーズなコミュニケーションはできないのか?

今後に課題の残る路上ライブとなりました。

前回の八木節に引き続き、今回は宮城が誇る漁師の民謡
斎太郎節に挑戦しました。

八木節が割と評判が良かった事を受けて
今回から「本気で民謡プロジェクト」と題し、
日本全国の民謡に新しい世代なりの解釈で取り組んで行くことを勝手に決意しました。
ただし節操もなく取り組むのではやらないほうがマシなので、以下の事だけは堅持しながら継続して行こうと思います。

1.メンバーの中に必ず一人はその民謡が生まれた地方の本場の人間を入れる事
2.和楽器は用いない事
3.必ずみんな歌う事
4.原曲を侮辱するような意図を持つ人間は参加させない事
5.原曲のリズムを大切にする事


以上の5点です。
それぞれ理由としては、

1.地方性を重視したいため、現地の話が色々聞けるため
2.和楽器を用いる事によって図らずも安易に和風になってしまうのを避けるため
また、用いる楽器が和であることよりも演奏する内容及び演奏者自身が和であることを重視するため(※現在和楽器と呼ばれるものの概念は全て明治以前で止まっているわけで、今後海外から入って来た楽器が和楽器と呼ばれるようになる時代が来ないとも限らない)
3.一体感を重視するため
4.当然でしょう。。
5.日本的ビートの探求という大儀を忘れないため


といった具合です。
長くなりましたが、それでは今回の斎太郎節について。

この曲の由来については諸説あるようですが、
個人的には萩原健一さんの主演映画「青春の蹉跌」の中でそれとなく歌われていた曲としての印象が強いです。
エンヤードット、エンヤードットの掛け声が一度聴いたら忘れられません。

そして今回メインでお招きしたのが、佐藤瞳さん

学生時代同じジャズサークルでずっと一緒に演奏していた事から今でも付き合いのあるピアニストの一人です。
当時からお世話になりっぱなしで僕にとっては東京の母のような存在ですが、
現在も都内のジャズ系ライブハウス、バーなどで活躍中です。
信頼する彼女の出身地である宮城を代表する民謡ということで斎太郎節な訳ですが、
実際の演奏はこんな感じになりました。



いや~、俺歌下手ですね~(笑)
宮城の皆さんすみません、でも歌いたかったんです。
プロジェクトの条件に歌の上手い下手は問わないってのを追加しないといけないですね。
それに比べ瞳姉さんはさすがですね、エレピの演奏も何とも艶っぽい!

この動画の録画中、斎太郎節についてみんなで話す場面があったのでそれも紹介します。



話題になっている斎太郎節の歌詞はこちら

//////////////////////////////////////////////////////////////////////////

1.
松島のサヨー
瑞巌寺ほどの
寺もないトエー

(サビ)
アレワエートソーダ
大漁ダエー

2.
沖は雪サヨー
きて行かしゃんせ
茶のどてらトエー

3.
押せよ押せサヨー
二挺櫓(にちょろ)なら近い
塩釜がトエー

4.
前は海サヨー
うしろは山よ
小松原トエー

※歌詞に関する著作権はすでに有効でないものと認識しています。
問題があるようでしたらご連絡下さい。


//////////////////////////////////////////////////////////////////////////

浜供養
なる行事があることが分かったり、本場の方を招く利点は想像以上に大きいですね。
ただ歌詞の内容については後で変えられたりしているものが多く、国自慢系の歌詞はその類が多いようです。ただ国自慢自体はむしろ良いことなので僕はこっちを尊重します。

結果はどうであれ、これは続けていくことに意味があると思います。
今後は安芸津盆踊り唄、牛深ハイヤ節、久留米そろばん踊り等を予定していますし、
じゃんじゃん行くつもりです。
このブログを見てくれている人は少ないとは思いますが、もし

「うちの町のこの民謡やりたい!」

なんて人が居たら大歓迎ですので、ご連絡お願い致します。
最後になりましたが協力してくれた瞳さん、小池くんどうもありがとうございました。
路上ライブもヨロシクね☆



前田悠太郎

以前チンドン屋さんの取材で楽士として登場してもらったこの人に、
今回は八木節で共演してもらいました。
彼との付き合いは学生時代からあるのですが、ホント上手くなりましたよね~。
そしてこの前田さんなんと八木節の本場足利の出身なんですね~☆
いや~本場の方にわざわざお越し頂いて贅沢の限りです。

演奏の方ですがもうこれは観てもらった方が早いでしょう。



歌は二人とも素人ですが、それなりにまじめに歌おうとする僕と、
本場の余裕からかかなりアレンジして歌う前田さんの対比が面白いかと思います。
ただ参考にした音源は「ふるさとの民謡 第5集 [関東編]」であるため、
歌詞は桐生で歌われている内容(国定忠治)になっています。
中々足利の音源ってないんですよね。。
情報あればお願いします。

最後はスタジオの時間が来てしまってスタッフの方が入ってこられましたが、
一番乗っていたので最後までやらせてもらいました。
ビックリされたでしょうね、ほんと失礼しました。
※一応スタッフの方に動画アップの許可は頂きました(笑)

演奏の後、前田さんを僕の部屋に招き二人で撮った動画を見ていたのですが、
この異様な雰囲気での二人の会話が結構面白かったので練習風景もアップしておきます。





なんだか変な話ですが、
音楽ってこんなに楽しかったのか。。
という気持ちを久しぶりに味わいました。

ただひょっとすると八木節の保存会の方の中にはこれを見て、
「八木節を侮辱してんのか!」
と、怒りをあらわにされる方もいらっしゃるかもしれません。
ですが、僕らは本当に八木節を好きなんだということだけは理解して頂きたいと思います。

まだまだ勉強不足ですが、日本の民謡の中でも八木節は僕らの世代にとって
一番馴染みやすいタイプの音楽だと思っています。
シンプルな構成、一定のリズムのループ、アドリブの要素、これらを全て備えている民謡はありそうで中々ないです。
現代のダンスミュージックに欠かせない要素を八木節は大正時代に既に持っていたわけです。

ついでにこれは言わせてもらうと、日本の伝統音楽のガイドブック(?)的なものを読むと必ず書いてある保存会なるものがある時点で既にその音楽は終わっている主張。
あれは一部分では当たっているでしょうが、ひとつ見落とされがちな点を指摘しておきます。

それは気合いです。

足利で見た朝倉八木節保存会には確かに気合いがありました。
これはうちが本場なんだという誇りがありました。
そういう側面を無視して音楽をただ音楽として捉えたら何のロマンもありません。
僕はそう思います。
大学のサークルでよくあるジャズ研究会も今やジャズ保存会。
ヴィジュアル系の音楽だって100年後には保存会ができているかもしれません。
保存会という言葉尻だけを捉えてその音楽を判断するのはあまりに短絡的すぎると思います。
気合の度合いによっては時に保存会はロックやパンクを凌駕するのです!

少しは僕の八木節に対する想いが伝わったでしょうか?
つーか朝倉八木節保存会、マジかっこよかったっすからねぇ。

さて、このコンビ。
これで終わるのも寂しいので、今後路上等で演奏したいなと思っています。
日本の芸能の原点は大道芸ですからね。
まぁ基本的に八木節しかやらないですけど。。


前田さんブログ(ゆうたろう日記)
http://yutarosax.cocolog-nifty.com/blog/
僕にとって地元の誇りである、安芸津町盆踊り唄が久々に生で聴けるということで、
「火とグルメの祭典 ~安芸津フェスティバル~」へ行ってきました。

広島杜氏年に一回行われるこのお祭りでは、地元の特産であるジャガイモを使った団子、ドーナツや、広島杜氏の祖・三浦千三郎の故郷であることから広島の銘酒の試飲会など、様々な出し物が好評です。






その中でも一番の見所はなんと言っても保野山の「万」の字焼き

万の字焼き夕方日が落ち暗く静まり返った保野山の山頂。
そこから幻想的に浮かび上がる「万」の文字には誰もが息を呑みます。

京都の五山送り火をベースにしながらも、かつて万葉集の歌に詠まれた町であることから「万」の字を採用したところは先輩たちの意地とセンスに拍手を送りたい気持ちです。
ちなみに下がその一句。

吾が故に 妹嘆くらし 風早の 浦の沖邊に 霧たなびけり

旅立つ夫に妻は、
「もし旅先で霧を見たなら、私が悲しみ嘆いていることとお思い下さい」
と告げて別れます。
こんなことを言われたら余計に別れづらくなりそうですが、旅の一行が安芸津町の風早に到着した際、申し合わせたように霧がたなびいたとのこと。

今も昔もロマンチストってのはいるんですね。
千年以上経っても変わらない人間の本質的なものを感じます。

さてさて、それでは僕のかわいい後輩にあたる三津小学校の生徒達が演奏してくれた安芸津町盆踊り唄(豊年踊り)をご覧下さい。
※動画のアップは校長先生直々に許可を頂きました。



いや~、かわいらしい。
もうちょっと元気が良くてもよかったかなとも思いましたが、演奏後のインタビューで
「今日は25点でした。。」
と、客観的な判断もできる自分に厳しい安芸津っ子です。

こういう経験を小学校の時にしておくというのは本当にいい事で、
僕もそうですが大人になってその有難味が良く分かります。
運動会の時は全校生徒で今も行われているようですが、指導を続けられている原田さん他有志の方々に感謝しつつ今後もこれだけは絶対守って行きたいと思います。

さて、この日は素敵な出会いがありました。
このお祭りでプロとしてエレクトーンを演奏されていた谷真一さん、歌手のゆうきさんの二人です。
彼らは僕と同じ三津小学校出身ですが、まだ22歳と若くちょうど僕が6年生の時1年生だったというギリギリ同じ空気を味わった世代です。

彼らに僕がやっていることを伝え、西洋の楽器で安芸津の盆踊り唄を一緒に演奏したいと申し出たところ快く引き受けてくれました。
最近こういう話を色んな方にしますが、意外にも僕の意図をすんなり理解してくれるのは僕より若い世代の人です。

ひょっとしたら日本の音楽もこの世代辺りから新しい方向へ向かって行ってくれるのではないかと淡い期待を寄せつつ、来年はこの三人でお祭りのステージに立つことを約束しました。
今からわくわくしています。

欧米文化にべったりの人にも日本の文化を保存しようと頑張っている人にも
「こりゃええのう!」
と言われるような地域独自のものを目指して頑張って行こうと思います。

追伸
とりあえず勢い余って一人で演奏してみました。



やっぱり一人だと息が続きませんね。。
僕も25点です、はい。
三人での演奏が撮れればその都度アップしていこうと思います。

谷真一さんのブログ
http://mignonorchestra.blog103.fc2.com/

重松流祭囃子(じゅうまつりゅうまつりばやし)

なんじゃそれは!

江戸の祭囃子といえば葛西流の流れを汲むものしかないのでは?
と、勝手に思い込んでいましたが、古谷重松という人が広めた別の流派のお囃子であると知り、
意外に近場の所沢市へ行って参りました。

お祭りの名称はそのまんまところざわまつり」です。

ジャズ・ラテンバンド、サンバカーニバル、よさこい、かっぽれ等なんでもありの出し物の中、
山車に乗って演奏されるそれは日常的な風景を一気に吹き飛ばす不思議な異空間を作り出していました。



この天狐の動き、やばいですね~。
マイケル・ジャクソンですね~。

日本のダンスシーンにもこの辺りから派生したものがあるのでしょうか?
ちょっと気になるところです。

ところざわまつり左の写真はひょっとこですが、他にも獅子等様々な演目が披露されていました。

各町ごとにお囃子の団体が組まれ、小さな子供もひょっとこを演じていたりしましたが、とても可愛いらしかったです。





さて、こうも魅力的なものを見せられてはやってみたいと思うのが人情。
ということで、色んな団体に聞いてみましたが、どの団体も各町の代表としてお祭りに参加していて、
その町に住む住人でないとお稽古に参加できないとの事。。

これは少々残念な気もしましたが、そのような体制で未だにお祭りが続いているという頼もしい事実でもありました。


本家重松流祭り囃子の方々右の写真は所沢重松流の団体の中でも、本家にあたるという旭町の本家重松流祭囃子の方々。
演奏も抜群でした!

左から二番目の朝倉涼介さんは忙しいお祭りの最中にもかかわらず、僕のずうずうしい質問に丁寧に答えて下さいました。



「祭囃子の団体を持つ町の住人であることが、お稽古を受ける条件ということは、旭町に住民票を移せば問題ないということですね?」

という僕のアホな質問にも、「それであれば問題ないと思います」と答えてくれたイケメン朝倉さん。
この場を借りてお礼申し上げます。

この重松流祭り囃子、さらっと調べてみたところ現在では福生市、東村山市、あきる野市等広範囲に伝承しているようです。
興味のある方は是非足を運んでみて下さい。

重松流祭囃子保存会
http://www.juma-ryu.jp/

祭本来の姿

とでも言うのでしょうか。
先日訪れた岸和田のだんじり祭ではごく日常の延長線上にある、町対抗の大運動会のような印象を受けました。





岸和田城岸和田藩・岡部氏の城下町として栄えた岸和田は、明治以後もその立地条件の良さから大阪のベッドタウンとして発展。

にもかかわらず岸和田城をはじめとする情緒ある町並みが数多く残り、こんな所に生まれたらきっと離れたいなんて思わないだろうなと、よそ者ながらに思ってしまいました。


あまりにも理想的な発展の仕方をしたお陰でしょうか、岸和田には他の町で見られるような保存会の類は存在しません。
そればかりか、だんじりに参加する町団体はまだなお増え続けているそうです。

だんじりの全てが分かる!
という言葉に乗せられて立ち寄っただんじり会館なる資料館の販売店では単にだんじり祭のものだけでなく、各町のロゴが刺繍された巾着袋等、町ごとのグッズが並べられていたことにも驚かされました。
この元気の良さを前にしては伝統という言葉すら無意味に響いてしまいそうです。

さてこの資料館。
最上階には特設スペースがあり、簡易版の山車に乗って演奏することができるのです。
お、何やら親子連れが興味を示しているな~とか思っていると、
さっきまで手をつないでもらっていた少女が太鼓を叩き始めました。

うぅ、上手い

地元の子だったのでしょうか?
それにしてもうまい!
一瞬自分の目を疑いましたが、紛れも無い現実でした。
さっき道で聞いていただんじりのリズムです。
そうこうしている内に近くに居た地元の高校生らしき四人組が演奏を始めました。

うぅぅ、もっと上手い


同じフロアにある3Dだんじり上映の為並んでいたのですが、これを録らなきゃ来た意味ねえ!
と思い3Dは後回しにして撮影させて頂きました。



あとで少しお話を聞かせて頂きましたが、こちらも昨夜寝ないで岸和田に着いたこともあり、
ろくな質問ができなかったのが悔やまれます。
演奏していたのは、

大太鼓:胡摩崎さん 
鐘:仲塚さん
笛:貝さん
小太鼓:田中さん


の四人で、小学校の頃から演奏しているとのことでした。
突然声を掛けたのにもかかわらず携帯で録っただんじりの映像を見せてくれたり、知らないおじさんに付き合ってくれてどうもありがとうございました。

お祭りが町の人にとって(負の意味での)特別なものではなく、お祭りがお祭りであることも忘れてしまう程生活に密着していることを感じさせられた岸和田だんじり祭。
経済の発展が必ずしも伝統的な行事に悪影響を与えているわけではなく、それを運営していく側、行政の力によってもまだまだできる事はあるのではないかと考えさせられる道行でした。

岸和田だんじり祭

http://www.city.kishiwada.osaka.jp/danjiri/

「夏期休暇いつにします?」

入って間もない会社でもう夏休みです。
え、マジで!?ねぶた行けんじゃん!
なんて僕は幸せ者なのでしょう、運まで味方してくれている様です。

日本のお祭りについてまったく知識のなかった僕でも知っていた青森のねぶた祭り。
これを見ないでこんなブログが意味をなすでしょうか!
まぁ行けたから言うんですけどね(笑)

8月7日の早朝、これまた運良く休暇の取れた学生時代の友人小池君と新幹線に乗り込み、
まだ見ぬ東北の地に思いを馳せました。
青葉城恋唄の仙台を抜け、遠野物語の岩手を後にし、緑色なのにスーパー白鳥という電車に乗り換え到着した青森は、気持ちの良い風で僕らを迎えてくれました。

到着早々、職業柄なのか下調べに余念のない小池君はこの日も華麗なまでのスケジュール管理で僕をエスコートします。
「おい、そんなスーパーに入ってどうするつもりだ!」
僕の静止を耳にもせず小池君は入って行きます。

せっかく青森まで来てスーパーかよ!何たる。。と、一度は彼の情緒的感覚を疑いましたが、
地下に広がっていた魚市場を前に彼はせせら笑うのでした。

青森 魚市場見てください、このマグロ!
後ろの椅子は人間の座る椅子ですよ!

このマグロもさらし首にされる所以はないでしょうが、さばかれた後もその姿は立派です。
お前は偉い!でかい!うまい!

こんな大きな魚が新鮮なまま生で食べれるなんて、自然の恵みに感謝です。



とまぁ、あまり余談ばかり書いても記事が長くなってしまうのでここら辺にします。

青森のねぶたは跳人(ハネト)と呼ばれる文字通り跳ねる人が踊りながらお祭りを盛り上げます。
祭りを知るためには跳人になる必要があるのですが、そのためにはハネト衣装(正装)を着なくてはなりません。
これは「青森ねぶた保存伝承条例」で決められています。
なので今回は(株)トップテーラー青森店でレンタルさせてもらいました。

青森ねぶた ハネト衣装この写真で見ると分かりにくいかもしれませんが、実際には花笠をかぶり、たすきがけもピンク色なのでかなり女の子っぽい衣装です。

そんな話をトップテーラーの店員さんにしたところ、「そうだよ、もともとは酔っ払いが女装して踊ったのが始まりだから」と、津軽弁で語ってくれました。

ブラジルでもオカマの格好をした団体のパレードを沢山見ましたが日本でも古くからあるんですね。







では衣装も整ったところでいざ出陣!
それっぽい人たちの集団にさりげな~く加わりました。
最初はなんだかヨソモノ意識が抜けずヨソヨソしかったですが、声を出しいてる内にどんどんボルテージが上がってきました。



動画は撮っている小池君も跳ねているのでブレブレですね。
ご覧の通り「ラッセーラー、ラッセーラー」と言いながら跳ねます。
これは酒でもなんでも「出せや~出せや~」と言っていたのが変化したそうです。
僕達は途中で疲れてしまい、またさりげな~く脱退しましたが、生粋の跳人たちは2時間ぶっ続けで跳ねていました。
大型ねぶたの運行は3日間あるのですが、彼らは連日跳ねているのでしょうか。
青森市民の脚力恐るべしです。


ではお囃子!!
この日は沢山お囃子の動画を撮りましたが、中でも一番グッときたのがこのJR東日本の方々による演奏。ねぶたの太鼓はでかいですが、その分(?)バチも長いです。
そのバチがしなりながら勢いよく太鼓を打ちつけていくさま!粋ですね。



太鼓と笛の演奏は、そのまんま「青森ねぶた囃子」と呼ばれているそうです。
鳴り物は手摺り鉦といってチンドン太鼓の当たり鉦と同じような形状ですが、ねぶたの場合は2つをすり合わせて演奏します。リズミカルな動きと相まってこれまた粋ですね。

青森ねぶた囃子ドラム譜ドラム譜はこの日ほとんどの団体が演奏していた曲(他にもう一曲ありました)のベーシックな部分から抜粋・アレンジしました。
ラッセーラーラッセーラーと掛け声を出しながら叩くと感じが出ると思います(笑)

動画を見てもらえると分かるように実際は7小節ごとに笛に合わせた違うリズムが1小節入っていますが、汎用性を考えるとこれでいいと僕は思います。

お昼の山車引きが終わって地元の人に聞くと昨日の晩が一番盛り上がったとのことでした。
暗闇で怪しく光るねぶたの山車はお昼とはまた違った顔を見せてくれるのでしょうね。
今後青森ねぶたを狙っている人は参考にしてみてはいかがでしょうか。

青森ねぶた祭り
http://www.nebuta.or.jp/

追伸

青森ねぶた囃子を実際にドラムで演奏してみました。
どうでしょう?
使い方によっては新しいジャンル創出も可能なのでは?




※尚このビートに使用にあたっては、ご一報頂けるとありがたいです。
何事もつながりが大切ですから。

子曰く、学びて思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)く、
思いて学ばざれば、則ち殆(あやう)し


足利学校山あげ祭を見た次の日、栃木県足利市に住む大学時代の後輩、菅原君に連れられ日本最古の学校である足利学校へ入学(?)しました。

上の文章は
儒教の祖である孔子の言葉を集めた書物論語の一節で、足利学校の特別体験で素読したものです。




儒教が日本に輸入されたのは約1700年前であると言われていますが、
いまだに日本人の道徳観念の大きな部分を担っているように思います。
上の言葉もそうですが学校で購入した簡易版「論語沙」に目を通すと、どれもそうだよね~と頷ける内容のものばかりでした。まぁ、中々実行できないんですけどね。。

いやぁ勉強になったね~とか言いながら足利学校を卒業し、お土産屋さんを散策しているとどこからともなく太鼓の音色が聞こえてきました。
最初はCDか何か流してるんだろうと思いましたが、近づいてみると本物!!

足利が発祥という元祖八木節でした。

足利八木節 朝倉八木節保存会電池が切れて動画が撮れなかったことが本当に悔やまれるほど、息のあった完璧な演奏、踊りでした。

地元足利出身の菅原君は、僕が
「ちょっとこれヤバイじゃん!、
めちゃくちゃかっこいいじゃん」
と言っても、あぁそうすか?
とそっけない返事でしたが、
これヤバイです。


これまでほぼ日本の伝統音楽を意識する機会がなかった僕は、恥ずかしながらこの八木節の存在を知りませんでした。
実家の母にもばかにされましたが、ホントいいですねこれ!

大正生まれの比較的若い芸能というだけあって、分かり易いというか素直に楽しめます。
ただ疑問に思ったのはお客さんがほぼ居なかった事。。
地元にこんな素晴らしい芸能があるのにもったいない!
演奏されてる方はそんなのへっちゃら、という位思いっきり楽しんでらっしゃいましたけど。

こりゃたまらんと思い、横で休んでいた方に話を伺ったところ、
「お兄ちゃんやってみたら?、次一緒にやんなよ!」
まぁ、なんと寛大な。。

んで、やりました(笑)

八木節 俺いや~、楽しい~!
幸せ~!

嬉しそうでしょ?

僕が叩かせて頂いたのは鼓ですが、なんとスティックで叩くんですね~。
昔は松脂を使っていたそうですが、現在はガムテープでぐるぐる巻きです。

文明の利器ですね。


さて、叩いたリズムですがこれが面白い!

足利八木節ドラム譜これはもうビートそのものです。
最初の入りの1小節だけ決まりがありますが、後はずっと一緒。
止まる時は笛の合図で止まります。

ドラムで叩くとするとこんな感じになるんではないでしょうか?(汚くですみません)

アフリカのフェラ・クティが始めたアフロビートに近いものがありますね。
う~ん、いい感じ。

話が少しズレますが、譜面が出てきたところで最初にひとつだけ断っておきたい事があります。
これはあくまでドラムで叩くとすればこうなんじゃない?
という提案であって定義ではありません。
はっきり言ってこの譜面はもうこの時点で八木節のそれではありません。
八木節にヒントを得たドラムのビートの譜面です。
伝統的な音楽に対しては常に敬意を抱いていますし、長年磨かれ受け継がれてきた重みを感じています。伝統を汚すような意図はまったくない事だけはご理解いただきたいのです。
 
僕が譜面を起こす理由は例えばこういうことです。

今まで締太鼓を叩いていた日本人が西洋の新しい楽器を初めて手にした時のことを考えてみて下さい。
すぐにアメリカ人の真似をしてジャズを演奏するか、今まで叩いてきたリズムを試してみるか。
どうです?後者の方が独自の新しいものに発展する可能性があると思いませんか?
そういうチャンスが一度はあったわけです。
 
戦後日本は前者の道を選びますが、僕はロマンチストですから後者の道を歩んだ日本の音楽が聴いてみたい。どういう発展をしていくのか考えただけでもワクワクします。
そのために参考になるような譜面の紹介という意図で載せました。

もちろん僕の主観で起こす譜面ですから偏りは出てくるでしょう。
ですが僕も日本人です。
本場の現地人ですから、外人が起こす譜面よりは参考になるのではないでしょうか(笑)
 
最後になりましたが、気さくに仲間に入れていただいた朝倉八木節保存会の皆さん。
本当にどうもありがとうございました。


追伸

実際にドラムでさわりの部分を実演してみました。
やっぱりドラムだけだと寂しいですが、ギターのカッティングなんか入ると
ファンキーになりそうな感じです。
せっかくなので唄ってしまいましたが、素人なので大目に見てください(笑)




まず「日本的」としたことについて。

音楽をはじめ日本の文化は外来の文化からの影響が大きく「日本の」としてしまうと、語弊が生じてしまう恐れがあるため避けました。

ビートとは

*ウィキペディア参照
打点であり、基本の単位として聞こえる基準のことである。したがって、ビートとは、曲から基本的な時間の単位を取り出したものである。つまり、音楽に合わせて足を踏み鳴らすとすると、それぞれの足踏みがビートということになる。文脈によって、ビートは次のいずれかの意味で使われる。

ということですが、一定のリズムがある程度続いていればそれをビートとします。
ですので雅楽等で叩かれる一定でないリズムは一旦対象から外しておく考えです。

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