動画の最近のブログ記事

前田悠太郎

以前チンドン屋さんの取材で楽士として登場してもらったこの人に、
今回は八木節で共演してもらいました。
彼との付き合いは学生時代からあるのですが、ホント上手くなりましたよね~。
そしてこの前田さんなんと八木節の本場足利の出身なんですね~☆
いや~本場の方にわざわざお越し頂いて贅沢の限りです。

演奏の方ですがもうこれは観てもらった方が早いでしょう。



歌は二人とも素人ですが、それなりにまじめに歌おうとする僕と、
本場の余裕からかかなりアレンジして歌う前田さんの対比が面白いかと思います。
ただ参考にした音源は「ふるさとの民謡 第5集 [関東編]」であるため、
歌詞は桐生で歌われている内容(国定忠治)になっています。
中々足利の音源ってないんですよね。。
情報あればお願いします。

最後はスタジオの時間が来てしまってスタッフの方が入ってこられましたが、
一番乗っていたので最後までやらせてもらいました。
ビックリされたでしょうね、ほんと失礼しました。
※一応スタッフの方に動画アップの許可は頂きました(笑)

演奏の後、前田さんを僕の部屋に招き二人で撮った動画を見ていたのですが、
この異様な雰囲気での二人の会話が結構面白かったので練習風景もアップしておきます。





なんだか変な話ですが、
音楽ってこんなに楽しかったのか。。
という気持ちを久しぶりに味わいました。

ただひょっとすると八木節の保存会の方の中にはこれを見て、
「八木節を侮辱してんのか!」
と、怒りをあらわにされる方もいらっしゃるかもしれません。
ですが、僕らは本当に八木節を好きなんだということだけは理解して頂きたいと思います。

まだまだ勉強不足ですが、日本の民謡の中でも八木節は僕らの世代にとって
一番馴染みやすいタイプの音楽だと思っています。
シンプルな構成、一定のリズムのループ、アドリブの要素、これらを全て備えている民謡はありそうで中々ないです。
現代のダンスミュージックに欠かせない要素を八木節は大正時代に既に持っていたわけです。

ついでにこれは言わせてもらうと、日本の伝統音楽のガイドブック(?)的なものを読むと必ず書いてある保存会なるものがある時点で既にその音楽は終わっている主張。
あれは一部分では当たっているでしょうが、ひとつ見落とされがちな点を指摘しておきます。

それは気合いです。

足利で見た朝倉八木節保存会には確かに気合いがありました。
これはうちが本場なんだという誇りがありました。
そういう側面を無視して音楽をただ音楽として捉えたら何のロマンもありません。
僕はそう思います。
大学のサークルでよくあるジャズ研究会も今やジャズ保存会。
ヴィジュアル系の音楽だって100年後には保存会ができているかもしれません。
保存会という言葉尻だけを捉えてその音楽を判断するのはあまりに短絡的すぎると思います。
気合の度合いによっては時に保存会はロックやパンクを凌駕するのです!

少しは僕の八木節に対する想いが伝わったでしょうか?
つーか朝倉八木節保存会、マジかっこよかったっすからねぇ。

さて、このコンビ。
これで終わるのも寂しいので、今後路上等で演奏したいなと思っています。
日本の芸能の原点は大道芸ですからね。
まぁ基本的に八木節しかやらないですけど。。


前田さんブログ(ゆうたろう日記)
http://yutarosax.cocolog-nifty.com/blog/
  (追記)

「陰翳礼讃」という谷崎潤一郎の随筆があります。

テキストがネットで公開されていたので前回練習したメンバーには印刷して渡したのですが、
その中にこういう一節があります。
少し長いですがご覧ください。

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私はかつて「文藝春秋」に万年筆と毛筆との比較を書いたが、
仮りに万年筆と云うものを昔の日本人か支那人が考案したとしたならば、
必ず穂先をペンにしないで毛筆にしたであろう。
そしてインキもあゝいう青い色でなく、墨汁に近い液体にして、
それが軸から毛の方へ滲み出るように工夫したであろう。
さすれば、紙も西洋紙のようなものでは不便であるから、大量生産で製造するとしても、
和紙に似た紙質のもの、改良半紙のようなものが最も要求されたであろう。
紙や墨汁や毛筆がそう云う風に発達していたら、ペンやインキが今日の如き流行を見ることばなかったであろうし、
従ってまたローマ字論などが幅を利かすことも出来まいし、漢字や仮名文字に対する一般の愛着も強かったであろう。
いや、そればかりでない、我等の思想や文学さえも、或はこうまで西洋を模倣せず、
もっと独創的な新天地へ突き進んでいたかも知れない。
かく考えて来ると、些細な文房具ではあるが、その影響の及ぶところは無辺際に大きいのである。

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ぼくが伝えたい、再現したいのはまさにこの点です。
この随筆は彼女が教えてくれて最近知ったものですが、
これを知る1年以上前に僕自身がブログに書いたのがこれです。

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僕が譜面を起こす理由は例えばこういうことです。

今まで締太鼓を叩いていた日本人が西洋の新しい楽器を初めて手にした時のことを考えてみて下さい。
すぐにアメリカ人の真似をしてジャズを演奏するか、今まで叩いてきたリズムを試してみるか。
どうです?後者の方が独自の新しいものに発展する可能性があると思いませんか?
そういうチャンスが一度はあったわけです。
 
戦後日本は前者の道を選びますが、僕はロマンチストですから後者の道を歩んだ日本の音楽が聴いてみたい。
どういう発展をしていくのか考えただけでもワクワクします。
そのために参考になるような譜面の紹介という意図で載せました。

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口で言ってるだけじゃ誰も見向きもしないから、
サックスの前田さんを誘って実際にやってみたんです。
それが思いのほか良かったと。  (2010年1月21日)
                                                                                      
                                                                            

高千穂の夜神楽

以前から気にはなりつつも関連する記事を読むと何やら小難しく、
文章を呼んでもすぐに忘れて(早池峰とごっちゃになったりして)しまっていましたが、
実際に行ってみた結論から言うと、

これは本気でいい
絶対見に行った方がいいす。

日本人なら!とかもう関係なく、
ぜぇ~ったい見に行って損はないです!

高千穂え~、しつこいですね。。
この芸能は言わずもがな、天孫ニニギノミコト一行が降り立ったという、宮崎県は高千穂で行われます。
※ 各地域で11月中旬~2月中旬まで

神話好きからするとこんな看板でも神々しく感じてしまう程特別な場所です。(軽々しくパワースポットとか言うのはやめましょう(笑))

さて、神楽の内容については細々した説明が必要なのですが、
まずは全部すっ飛ばしてとにかくこれを御覧下さい!
夜神楽三十三番のオープニング、
御神屋始め(みこうやはじめ)




このリズム!このメロディー!
この唄!この鈴!このブレイク!


もう、なんなんでしょうね。
キャー!猿田彦~!
みたいな。

こんなカッコいい登場の仕方ってありますか?
僕は James Brown の「Live At The Apollo Vol.3」のオープニングかと思いました。

この序曲をもって猿田彦大神が神庭(こうにわ)に呼び寄せられ、
高千穂の夜神楽三十三番がスタートするのです。
ドラマチックでしょ?

[ 注意 ] ちなみに見に行きたい人は前日思いっきり寝てから行きましょう。

この時点で夕方7時位でしたが、氏神社(中畑神社)での神事執り行い、式三番の奉納、道行(御神幸)、神楽宿への舞入れを経てここに到っており、実際にはお昼過ぎから続いているのです。
しかもここから舞が翌朝、長い場合はお昼頃まで行われます。
セブンイレブンもびっくりですね。

さて、ここからは夜神楽三十三番ということで、読んで字の如く三十三演目ある訳ですが、
ビートという点で紹介したいのは上の動画に尽きます。




あ、終わってしまいましたね。

ブログの趣旨からするとそうなってしまうのですが、それでは我が国の神々に失礼ですし、
何より紹介せずにはいられない程興味深く、かつ見ごたえのあるものばかりです。
全部紹介すると朝になってしまうので、印象に残った演目をピックアップしてご覧頂こうと思います。

太伊殿



神庭(こうにわ)を鎮め、神の降臨を期待する舞だそうです。
リズムは同じですが、唄が違いますね。
とても楽しそう。
登場する神は、

久久之遅命(くくのちのみこと)
迦具土之命(かぐつちのみこと)
金山彦命(かなやまひこのみこと)
水波売命(みずはめのみこと)

の四柱

岩潜



岩間を潜る激流を表す舞。
ここでは四人がそれぞれ刀の先を持ってでやってますが、
三人、二人と減っていき、最後は一人で舞います。
地区によっては真剣を使うこともあるそうです。
舞っているのは、

武甕槌大神(たけみかつちのかみ)
天目一筒神(あまめひとつのかみ)
手置帆負神(たおきほおいのかみ)
天穂日命(あめのほひのみこ)

の四柱

八鉢



これは面白かった!
少彦名命(すくなひこなのみこと)が唐の国から珍しい薬草を携えて帰る際、
うれしさのあまり船縁を叩いて舞った様子を表しているとか。
嬉しいのは分かるけど、ハッチャケ過ぎでしょ(笑)
無理な姿勢から太鼓に上がろうとする所作に思わず笑ってしまいました。

ブラジルの格闘技、カポエラでこれとまったく同じポーズをとって試合を始めたりしますが、
恐らく関連性はないでしょう。

御神体



国生みで有名な伊奘諾尊(いざなぎのみこと)・伊奘冉尊(いざなみのみこと)が、
これまたやり過ぎます(笑)
酒を飲んだ勢いで。。

動画を見れば大体この後は想像つくと思いますが、
今も昔もやることはあまり変わってないですね。

興が乗った伊奘諾は見物人の中に押し入り女性を見つけては抱きつきます。
それを見た伊奘冉が嫉妬して激怒。
このやりとりに客席は大いに沸きます。

皆が眠気と格闘する深夜3時頃に行われるため、
「目覚まし神楽」とも呼ばれているようです。

戸取



そして完全に日も昇った朝8時頃、最大の見せ場である天の岩戸開きが行われます。
手力雄神(たぢからおのかみ)が岩を持ち上げる~!
ってとこでデジカメの電池が切れてしまいましたが、これでもまだ神楽は終わりません。

次の予定があった為ここまでしか見れなかったのですが、
この調子だとお昼頃まで続いたのだと思います。
神々すげ~!

高千穂の夜神楽 だご汁それにしてもこの日の高千穂は本当に寒かった。。
調子に乗って着物で見に行っていたのですが、寒さに何度くじけそうになったことか。

隣で見てらした方に貸して頂いた毛布とこの「猪汁」の旨さはきっと一生忘れないと思います。




さてさて、久し振りに長い記事になってしまいましたが、
初めて見に行った小僧が1ページで語りつくせる程この芸能は単純ではありません。
何度も何度も高千穂を訪れて少しでも神々の宴の意味を理解していきたいと感じました。

最後になりましたが、新参者を温かく受け入れてくれた三田井地区保存会の方々、
お話を聞かせて頂いた中畑神社の佐藤さん。
どうもありがとうございました。
またお邪魔させて下さいね。

高千穂町観光協会
http://www.takachiho-kanko.jp/

参考文献:「祈りと伝承の里 高千穂の夜神楽」

大学時代の友人小池君の高校時代の友人で、
音頭バンド「カラカラ」で一緒になったユミさんの大学時代の友人。

とかいうと訳分かんないですけど、
要は共通の知人の知人ということで繋がった歌代圭介さんのお招きで、
埼玉は飯能市の飯能まつりへ行ってきました。

この方の祭好きは筋金入りで、立ち上がったばかりの早稲田チンドン研究会において、

「僕は祭の為に生きてるんだけど、みんなは何の為に生きてるの?」


と、究極的かつ根源的なの質問を投げかけ、
皆を沈黙させてしまったという逸話を残しています。

飯能まつり中央が歌代さん。

今回は中途半端な僕の知識では申し訳ないので、本気で地元飯能の祭りを愛す歌代先生による説明を引用させて頂きます。

※携帯メールでのやり取りを転載させて頂きました。このテキスト数は尋常じゃない。。











[ いつから始まった祭事か ]


飯能の市街地の祭りは、もとをただせば江戸時代に鎮守の神社の祭礼として、
獅子舞(関東に多い三頭の獅子舞)が奉納されるようになったのが始まり。
明治、大正期に各町が山車や屋台を建造し囃子も演じられるようになりました。
今から約40年前、全市をあげての「飯能まつり」という形になり、
飯能市に伝わるさまざまな伝統芸能が演じられるようになりました。

[ 演目について ]



お囃子の演目だったら流派や町によっても違うけど、
大体共通している曲目は「屋台」「仁馬」「四丁目」「鎌倉」「昇殿」「神田丸」等。
踊りは特別なストーリーがあるわけではないですが、
ヒョットコ等の馬鹿面や岡目、天狐、外道、恵美寿や大黒等いろいろあります。

[ お囃子の流派について ]



流派は二つ。神田大橋流と小田原囃子若狭流。
大橋流は江戸時代に隣の入間市から、若狭流は明治初期に川越から伝わりました。
どちらも埼玉・東京に多い、江戸囃子の系統の囃子で、そういう意味では重松流とは同系統だと思います。個人的な感覚だと、大橋流と重松流は似ている点があると思ってます。

[ 底抜け屋台とは ]

現在飯能にあるのは古いものでも昭和になってから造ったものですが、
江戸時代の祭礼絵巻(神田祭りなど)に描かれたものとほとんど同じ形式で残っています。
特徴は床がなく歩きながら演奏すること。
屋根の部分に「朝顔」と呼ばれる市松模様の飾りがついていること等。
底抜け屋台の囃子は、山車の囃子とは違います。
祇園囃子と呼ばれるもので、飯能や入間、東京多摩地区にある囃子です。
飯能だけの特徴としては、昔飯能には花街があり芸者がたくさんいた関係で端唄(っていうのかな? お座敷の唄)のような曲目も取り入れられてます。

[ 太鼓神輿について ]



そんなに昔からやってるものではないと思うけど、
今では飯能まつりのメインイベントの一つになってます。

[ 開催時期について ]


飯能で一年の内で大きな祭りは先日の飯能まつりが一番ですが、
七月中旬に行う天王様(八坂神社)の祭礼もわりと盛大です。
このお祭りでは8台の底抜け屋台が二日間にわたって曳き回されます。
その他、各神社がそれぞれお祭りをやってます。

引用ここまで --------

なんと内容の濃い!!


ちなみに重松流というのは「ところざわまつり」等で演奏されるお囃子のこと。
川越まつりもそうですが、屋台の上で踊るところなんか非常によく似ているなと思い、
関連性を質問してみました。
演目の「外道」ってのは気になりますね、僕なんかは70年代のロックバンドを思い浮かべてしまいますが。
あと底抜け屋台は前日のみ行われたらしく、見れなかったのが残念。
先生の説明を読むとこれを見ずして飯能まつりは語れない。。
めちゃくちゃ面白そう。

正直なところ前日がライブでヘトヘトに疲れ、
十分に調べられないまま行ってしまったことを後悔しております。
次の機会には是非とも底抜け屋台目掛けて気合入れて取材させて頂こうと思います。

本当に歌代さん、どうもありがとうございました。


飯能まつり連合会

http://f29.aaa.livedoor.jp/~hanno/


僕らももっと露出していかないとね~っという事で、
ご近所高円寺で行われた
高円寺フェスというイベントに参加してきました。

あいにく踊りの瀧田君が仕事で出演できないということで、
代理で瀧田君のお母様である石川千絵香先生に出演を依頼。

東京での正式なイベント出演はこれが始めてです。

いつもの様に八木節・豊年踊り・東京音頭と演奏しましたが、
さすがは本場?
千絵香先生の巻き込み大作戦も奏して、
東京音頭はかなりのお客様に一緒に踊って頂くことができました。



たまたま高円寺でお仕事中だった「チンドン!あづまや」の方々にもご参加頂いて、
何やら異様な雰囲気ですね(笑)

今回の八木節は桐生の丹羽さんのご指摘で、
唄い出しと終わり部分の歌詞を追加しました。




石川流の先生方並びにタッ君もご協力どうもありがとうございました。

ではでは今後とも菅田米穀店芸能部をよろしくお願い致します。

追伸

この時バイオリニストの有花さんお声掛けをして頂きました。
今後参加が決定すれば胡弓担当って事になりますね。
魚津のせり込み蝶六を始め富山の民謡には欠かせませんし、
長い付き合いになればと思います。


高円寺フェス
http://koenjifes.jp/
本場桐生で八木節。

今年に入って4回目の桐生訪問は、
我が菅田米穀店芸能部にとって大きな一日となりました。

菅田米穀店芸能部@桐生青年祭












写真下の左から二人目、丹羽幸司さんのお招きで桐生市青年祭に出演してきました。

もう丹羽さんにはお礼のしようが無い程お世話になりました。
当日の会場案内から、説明会への参加。
そしてなんと僕らの出演に際して有志の方々からのカンパまで募って頂きました。

僕らもあんな大人になりたいね~

とか言いながらもう立派な成人なんですけどね。

折角なのでご支援頂いた方々のお名前を紹介させて頂きます。
※堤燈はないのでブログで失礼致します。

白椿 越次郎 様
小潟 喜八 様
菊谷 智巳 様
柳田 昌信 様
貝原 隆三 様
書上 文雄 様
小野 善三郎 様
向田 博文 様
須藤 英之 様
大塚 隆司 様
小太刀 健市 様
出島 波ニ郎 様
藤掛 達也 様
高橋 重雄 様
関口 博文 様
丹羽 幸司 様


本当にありがとうございます。

カメラの位置がもう少し右だったらな~。。
とかあるんですけど、せっかくなので動画をどうぞ。

八木節

本場桐生での初披露です。



豊年踊り(安芸津町盆踊り)


僕の地元安芸津町の民謡もやらせて頂きました。



この日は我らが瀧田先生による「東京音頭の踊り方」講座も行いましたが、
あまりに唄がひどいので割愛させて頂きます。。

なんと言いますか、僕らがやってきた事は間違っていなかったなと。
※そもそも間違いだなんて思ったこと無いですけど(笑)

民謡は地方の方々のもの。
僕らは借り物で演奏させて頂いている。
民謡が一人歩きした時点でもう民謡じゃない。


今回は本場の方々に敬意を払いつつ活動を続けてきた事による、
一つのご褒美だったと思っております。

※地元の新聞「日刊きりゅう」でも紹介して頂きました!

日刊きりゅう




















まだまだこれからの我が芸能部ですが、驕らず、焦らず、当たり前のどこにでも居る日本人として、
日本文化及び民謡の素晴らしさを皆さんと共有できたらなと存じます。

丹羽さん並びにご支援頂いた方々、亜流の八木節で踊っていただいた本場の方々に改めて感謝致します。
どうもありがとうございました。

桐生市立青年の家
http://bit.ly/1CVa6t
ピーヒャラピーヒャラ
テンツクテンツク

東京生まれの人がお祭りと聞いてイメージするものの一つにお囃子があると思います。
発祥については地域によって諸説あるようですが、
こと江戸のお囃子に関して発祥が葛西神社であることに異論はないようです。

先日行われた例大祭では思う存分その葛西囃子を堪能しました。

葛西囃子保存会お話を聞かせて頂いたのは、お囃子暦50年という大ベテランの小林さん(左)と佐々木会長

この日は里神楽の演奏も披露されていました。






今と同じく平和だった江戸時代。
いつの時代もそうなのでしょうが、今でいうヤンキー、ちょっと前だとチーマー・暴走族みたいな若者が治安を悪化させて幕府を困らせます。

そんな世相の中、葛西神社の神主だった能勢環さんが創作したお囃子を若者に教えたところ、

中々熱心にやるじゃん。

ということで、それに目を付けた関東の代官伊奈半左エ門が政策として奨励。
優秀な演奏者は将軍も上覧する神田明神のお祭りに参加できるとあって、
瞬く間に関東一円に広がっていったということです。

今や江戸祭囃子のスタンダードとなっている、

屋台~昇殿~鎌倉



四丁目~屋台




笛を吹いてらっしゃるのが、小林さん。
真ん中が佐々木会長。

内容としては現在松本源之助社中で教わっているものとほぼ同じでした。
ここでもそうですが、四丁目では締太鼓のアドリブが入ります。
ジャズで言うソロ回しみたいなもんですね。

締太鼓を叩いている者としてはここが技の見せ所的なところがあって、
気合入れ過ぎて失敗したりするのですが佐々木会長はさすがにツボを抑えた粋な演奏ですね。

テテンッ!と、終わりの合図が隣の人と揃ったらソロ終了。
これまた何とも粋でしょ?西洋音楽のように小節数でカウントはしないんです。

今回は時間の関係上あまり長くは居れませんでしたが、
また来年ゆっくり見させて頂きたいと思いました。

小林さん、佐々木会長、どうもありがとうございました。

葛西囃子保存会
http://music.geocities.jp/jisya01/

保存会に入れて下さい!

お盆(8月)の14日、実家に戻った僕は、
先日お世話になった日の丸写真館の中村さんに申し出ました。
我が故郷、安芸津町三津の盆踊り大会の前日です。
話は急ピッチに進み、揃いの浴衣まで貸して頂いて、そのまま本番15日。

朝6時屯所前集合

トラックに櫓の木材を積み込み会場となる児童公園へ。
櫓を組み立て、堤燈を飾って会場作り。
なんでこんな朝早くに?
と思いましたが参加してみて実感。

ぶちしんで~
蚊もおるし。。


こんな作業昼間にやったら本番迎えるまで体が持ちません。
お昼前に一旦休憩(酒飲み)して、

また3時に集合

お酒、氷、コップをもらいに町を回り、
会場に戻って草むしり。

ぶちしんで~
蚊もおるし。。

安芸津町三津市之町盆踊りただ、これだけ体を酷使すると、
めったにできない故郷孝行を今まさにやっているんだと。

そういう実感が痛いほど、かゆいほど体に感じられて、なんだかウルッときたりして。。

こんなこと毎年やってるんだと思うと、ほんと保存会の方々の苦労が身に染みて、どうしても残さにゃいかんと心から思います。

市之町盆踊りさて、辺りは程よく陽も落ちて、
夕方7時から盆踊りの始まりです。

この年お亡くなりになった方の霊を迎えるため、特別に供養された堤燈が櫓に灯されます。
(写真はその前の状態)

安芸津の盆踊りは先祖供養の意味合いが色濃く残り、地区によっては喪服で参加するところもありました。

そして何度も聴いた安芸津町三津盆踊り唄もここでは新霊供養踊りとして演奏されます。

帰村~一つ拍子



豊年踊り



唄には南さん、太鼓には安芸津のグルーヴマスター原田さん
さすがの貫禄ですね。
結局この日は夜の12時過ぎまで太鼓を叩き、酒を飲み、踊り続けました。

さすがにやり切った感があり、体力の限界に達したと感じましたが、
これでは終わりません。

「今日は皆様お疲れ様でした。
 明日も朝6時から片付けですので、よろしくお願いします。」

マジすか~!?



まじでした。
ホント保存会の人達ヤバイ。

こんなに体酷使された事しばらくありませんでしたが、
年に一回、次回はお盆に向けて体を作って臨みたいと思います。。
市之町盆踊り保存会の方々お疲れ様でした。


さて最後に極私的な記事になりますが、
懐かしい友達に再会しました。

御園隆之くんと定兼良輔くんです。

サダヨとイソ




















御園くんは安芸津で呉服屋(御園呉服)を、定兼くんはバンドを続けつつ料亭(富楽)を営んでいます。

みんなおっさんなったの~

とか言いながらそれでもこうやってまた楽しく話ができるって、
やっぱ安芸津で育ってえかったわ~。

安芸津に立ち寄った際は是非、御園呉服と富楽を探してみて下さい。
あと、菅田米穀店とね。

御園呉服店
http://map.doko.jp/m/sc=50179589

富楽
http://nttbj.itp.ne.jp/0846450511/index.html?Media_cate=populer&svc=1303

The NAF in the SweLL (定兼くんのバンド)
http://www.naf.fm/frame.html

せり込み蝶六

この民謡を生で聴くため、
富山県は魚津市で行われるじゃんとこい祭りへ行ってまいりました。

先週は岐阜(白鳥郡上八幡)、昨日は群馬(桐生)、そしてこの日は富山と、
我ながらよくやるな~と思いながらも見たいものは見たいのです。

このせり込み蝶六という民謡は瀧田くんから教わったのですが、
一回聴いただけでこのリズムは 来ると感じました。
腹にぐっと来る訳です。

さて東京方面から魚津へのアクセスは、
東京→越後湯沢(新幹線Maxとき)→魚津(JR特急はくたか)
辺りが無難でしょうが、僕はさすがに疲労が溜まっていたせいか、
新幹線で寝過ごして長岡まで行ってしまいました。。

あぁ、天地人~

さすがに焦りましたが、JR特急北越というのに乗れば長岡から魚津まで一本で行けるようですね。
長岡の駅員さんありがとう。

魚津で、着きました、魚津!

あの上杉謙信も、江戸川乱歩もこの町でこの町で見たという蜃気楼
織田軍と上杉軍が攻防戦を繰り広げた、魚津城(今は小学校)。
夏の夜空を鮮やかに彩る
たてもん祭り!
見所盛りだくさん、越中の要所です。


昨日に引き続き、ちらほら小雨のぱらつくパッとしない天気ではありましたが、
そんなことは気にせず、先に着いていた瀧田くん達と合流。

ちょっと腹ごしらえしてから行こうか~?
と入ったお店は地元で若者に人気というこのお店。

三三五五 三三五五

緑堤燈は国産食材50%以上の印!
このお店が大当たり!

ほたるいか黒作りはもちろん、
魚津ならではの食材で調理された料理の前に口元緩みっぱなし。




三三五五代表三井田一博さんと代表の三井田一博さん(中央)
がこれまた地元のことを良くご存知で、沢山魚津のお話を聞かせて頂きました。

こういう人だからこういうお店ができるんだなと。。

お土産に富山の方言番付表まで頂いて、三井田さんどうもありがとうございました。


さて、いよいよ本番
じゃんとこい魚津まつり
会場となる大通り(22m通りというらしいですが、もっとあると思う)まで臨時バスで向かいました。

人影がまばらだと思ってよく見ると皆さん歩道によけております。
このせり込み蝶六は街流し(パレード)形式をとっており、
大通りは総勢約3500人の踊り手さん達がそれこそ蝶のように舞うわけですね。

動画は色々撮ったのですが、まずは踊り手さん達の雰囲気が伝わるのでこれ。



やっぱ踊ってる方々も声が出てると全然見てる側も上がりますね。

この交差点から実際に演奏をしているゴール地点まではかなり距離があり、
この辺りで聞こえているのはスピーカーによるものですね。

で、実際の演奏側はと言うと、



ちょうどタイミング悪く三味線・胡弓の演奏者が交代するところですが、
僕はまずこの平太鼓を撮っておきたかったのでご了承下さい。

ちなみに後でまたご紹介しますが、太鼓を叩いてらっしゃるのが
出島 洋さん

三味線から胡弓に持ち替え演奏されているのが、
魚津せり込み蝶六保存会会長の
昭雄さんです。

長い長い街流しが終わり、最後に披露されるのが模範演技。
堤燈、手踊り、傘、扇子、花笠、笠と様々なパターンで踊られますが、
その名前の元となった扇子の動きはまさに蝶のようですね。





五人の男性の左から二番目で踊ってらっしゃる方が
嶋川 悦郎さん

さすがにうまいっすね~。
カッコイイ!

ここまで見て頂いた方はお分かりだと思いますが、
演奏の途中に入る
じゃ~んとこ~い、じゃ~んとこ~い
ってのがこのイベントの名前の由来です。

さてさて、これだけで魚津への道行きは終わりません。

以前から連絡を取らせて頂いていた保存会会長の野崎さんの呼びかけで、
翌日の朝関係者の方々を集めてお話を聞かせて頂いたのです。

なんたる幸せ。。

越中魚津の民謡&DVD魚津の民謡の全てが凝縮されたと言っても過言でない、
「越中魚津の民謡(50周年記念)」
なる保存会さん発行の200ページ弱に上る貴重な写真入りの資料及びDVDまで頂き、なんとお礼を言ってよいのやら。。

まだ頭の中で整理できていないので下手な事を書くのはよしておきますが、お話から分ったことをいくつか。


せり込み蝶六の踊りの基本は念仏・祈り・感動・喜びからなる踊躍歓喜(ユヤクカンギ)であり、
扇子を持って踊る理由も末広がりで目出度いからだそうです。
踊りを見ていればその様子が伝わってきますね。

名称については、民俗研究家の方が魚津を訪れた際に命名されたとのこと。
一口にせり込み蝶六と言っても昔は、

羽根曽(ハネソ)音頭
大道蝶六
流し川崎
古代神
ちょんがら
(もう一回)大道蝶六
松坂
千秋楽


という流れで非常に変化に富んだものであったようです。

現在では時間の関係上主に「古代神」と「ちょんがら」による二段構成となっていますが、
最後には「輪島」という石川県能登輪島から伝わった民謡が付け加えられています。

「わじま~の~な~らいじゃ~」

と唄っていた意味もこれで納得がいくというものです。
ねぇ?



って言ってもちんぷんかんぷんでしょ?曲名多すぎますね。
しかもこれに加え酒造り唄もあるんです。

魚津の人音楽好き過ぎ!

酒造り唄って僕の実家安芸津町もそうですが、
「桶洗い唄」「米研ぎ唄」「もとすり唄」「二番がい唄」他、沢山あるんですよ。

魚津の人音楽好き過ぎ!

自分の理解力のキャパを超えているので、
ふざけるしかありませんが、あまり難しい内容になっても仕方が無いので。
興味ある方は是非自分で追及して下さい。

とは言え、せり込み蝶六に取り組もうとする以上、
歌詞の内容を理解しておく事は必須です。

二十八日口徳

親鸞聖人の命日である二十八日が名前の由来ですが、
蓮如上人がお作りになり信仰者に唱和させたのがこの二十八日口徳なのだそうです。
せり込み蝶六で主に唄われるのはこの詞章なわけで、
僕は図らずも浄土真宗の教えをこんなところから学んだりすることになりそうです。

いや~、今回は長くなりました。
最後まで読んでくれた方、ありがとうございます。

魚津せり込み蝶六保存会の方々と
そして最後は記念撮影

右から

野崎 昭雄さん(現会長)
出島 洋さん(太鼓)
宮坂新太郎さん(前会長)
嶋川 悦郎さん(踊り)


です。


僕らの様な若輩者に親切にしていただき本当にありがとうございました!
興味を持った方は是非魚津へ!
日本海の幸に蜃気楼、せり込み蝶六が待っていますよ。


魚津せり込み蝶六保存会
http://serikomi.uozu.net/

じゃんとこい魚津まつり
http://www.ccis-toyama.or.jp/uozu/kankou/event/uozu_matsuri.html

とうとうやってまいりました、
桐生八木節まつり

足利で偶然生演奏に出会ってから丸一年、
僕のi-Podでの再生回数トップの座を守り続けた八木節は、
このイベントを総決算としてまた次のステップへと歩み始めるのです。

桐生八木節まつり見てください、
この真剣な表情!


高校球児にとっての甲子園のごとく、
八木節家達にとってこのイベントは一年の成果を披露するための、待ちに待った夢の舞台なのです。




当日はかなりの雨量でそれなりに痛手を蒙っていたのは事実ですが、
このイベントの為に1年間練習してきた人達にとって
「そんなの関係ね~」
訳で。

6月に初めて桐生を訪れて以来懇意にして頂いている丹羽さんにとってもそれは同じ。
文字通りこの四角四面の櫓の上で唄い上げる気持ちの良さは、
何事にも変え難いものなのでしょう。



唄ってらっしゃるのが丹羽さん。
踊っておられる方々のはしゃぎっぷりも見事です。
(掛け声に会津磐梯山の歌詞が入っていますが、いつ頃からなのでしょうか?)

その丹羽さんが桐生一と太鼓判を押すのがストウさん(漢字は分りません)。



これはもう八木節を唄うために生まれてこられたような方ですね。
時間を気にしてらっしゃいましたが、もう一回だけと嘆願の末唄って頂きました。
わがまま言ってすみませんでした。

この日は3日間ある八木節まつりの中日で、
八木節家達の夏はまだ後1日残っていたわけですが、
名残惜しくも電車の都合上桐生の町を後にしました。

思い起こせば足利での突然の出会いから一年。
八木節からもらった出会いや恩恵のことを考えると本当に感謝してもしきれません。

堀込源太氏に感謝!
荒井一作氏にも感謝!
菅原君にも朝倉八木節保存会の方々にも感謝!感謝!
ついでに国定忠治氏にも感謝!


他に言う事はございません。
上州八木節に幸あれ!

ではまた来年。

桐生八木節まつり

http://kiryu-maturi.net/
毎年夏は面白い芸能がある場所へ遠出しよう!

と、学生時代の友人小池くんとは決めているのですが、
昨年のねぶたに続き今年は岐阜県の郡上市に行って参りました。

郡上市ではお盆を含む7月下旬から9月初旬にかけて、日本三大盆踊りの一つ
郡上踊り
そして白鳥(しろとり)おどりが行われるのです。

岐阜バス乗り場白鳥おどりが行われる白鳥へは、岐阜駅バス停14番乗り場から出ているいる高速バスに乗るのがお得です。

岐阜駅も初めてなので
ちょっと記念撮影







バスに乗り込み車内から窓の外に広がる美濃の山々を眺めていると、
あ~日本ってめちゃくちゃ自然に囲まれてんじゃん。
斉藤道三もこの景色みたんだなきっと。
とか勝手に妄想は膨らみもう国盗り物語気分!

そうこうしてる間に憧れの本場白鳥に到着です。

白鳥おどり銅像最寄駅である美濃白鳥駅前には白鳥おどりの銅像がありました。

現地の学生さんなんかはこの銅像前で待ち合わせたりするのでしょうか?
羨ましいな~。

この日はネットで調べた
民宿かんしろう
という宿にチェックイン。

この宿の女将さんがいい人で、
白鳥おどりはアップテンポだから沢山食べてないとバテるよと美味しい料理を沢山頂きました。

開始時間の20時前。
天候の不安も抱えながら白鳥の町を少し散歩していると、
町の至る所にこの物体が!

白鳥の切子堤燈というにはあまりにも特殊な形で、なんだか宇宙船のよう。

これは切子(きりこ)と呼ばれる盆燈籠(ぼんとうろう)の一種で魔除けの意味があるそうです。

確かにそう言われれば悪いものを寄せ付けなさそうですね。

白鳥ではあまりにも一般的過ぎるようで、町の人に尋ねたところ

「これ白鳥だけか?」

と逆にびっくりされてしまいました。





時間は20時となり、町の人が少しづつ集まってきたところで400年の歴史を持つ白鳥おどりの始まりです。

まずはこの曲、源助さん
歌詞も泣かせる本当に大好きな曲です。



ホントに驚いたんですけど、
クオリティーがCDとまったく変わらない!
これには山下達郎さんもびっくりなのではないでしょうか(笑)

ちなみに動画中踊ってらっしゃるねじり鉢巻の方が
曽我忠雄さん

この日名刺交換をさせて頂いたのですが、後で調べてびっくり。
先日購入した「現地保存会による 岐阜・奥美濃 白鳥おどり」
というCDの中で太鼓を叩いてらっしゃる方ではないですか!

いやいや、これは畏れ多い。
僕のような若造にお付き合い頂きありがとうございました。

さてお次はシッチョイ



威勢がいいですね、町の方々も乗ってきました。
あ、きょろきょろしながら下手な踊りを晒しているのは僕です。
あぁ情けない。。

次は(ヤッサカ)



この曲ちょっとリズムが変ですよね。
あ~りゃ~のところで裏返ったような裏返ってないような。
Edu Lobo(エドゥ・ロボ)「Zanzibar」
オリジナル・ラヴ「ホモ・エレクトス」ような手法が民謡にもあるとは。。
元は労作歌らしいですが案外こういう感覚って日本人も昔から持ってたのかな?

白鳥おどりは全部で8曲あり、
他に

神代(ドッコイサ)
老坂(オイサカ)
猫の子(ネコノコ)
世栄(ヨサカエ)
さのさ


がありますがあまりいい動画が撮れておらず、
残念ながら紹介出来ません。
世栄なんて凄かったのにな~。。

白鳥おどり保存会の方々とこの日は保存会の方々と記念撮影もさせて頂きました。

向かって左が曽我さん。
あとのお二方はお名前をお聞きするタイミングを逃してしまいました。

それにしても俺ひどい顔。。
人間舞い上がるとこういう顔するんですね(笑)



さてさて今回は踊ることに精一杯で太鼓を見ている暇がありませんでしたが、
白鳥おどりのリズムは郡上踊りと共通する点が多く使われている太鼓も同じでした。
これは元々唄と踊りがあり、後から三味線等の楽器を付けたということに由来するのでしょうが、それにしても興味深く楽しいリズムです。

あと今回現地に行って強く感じたのは踊っている方の下駄の音
何より一つのリズム楽器として機能していたという事。

「今日は下駄がもつかな?」

と現地の人が心配していたのも頷けるほど、
皆さん下駄の音を響かせて踊ってらっしゃいました。

今年もまだまだやってます。
現地へ行かれる時は何を忘れても下駄だけはお忘れなく

白鳥おどり日程表
http://shirotori.gujo.to/html/odori.htm

白鳥踊りの歴史
http://www.bonodori.net/zenkoku/shirotori/shirotori_rekishi.html

岐阜新聞 Web
http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20090719/200907190848_8355.shtml


現在住んでいる中野区新井でが行われた
新井薬師盆踊り大会(60周年)

僕が生まれる2倍以上前(変な表現)からこの地で行われている行事に
参加しない手はありません。


「新井の人が全員集まってるよこりゃ」

と、近くに居た人が言っていたほどのかなりの賑わい。
お寺の階段を上って全体を眺めると、どうやら抽選会が行われている模様。

「1等賞、最後の番号は5番!おめでとう!」

感動のあまり泣いていた方もいた様子。
おお、いいじゃん、盛り上がってんじゃん。

「それではこれから盆踊りを行います、皆さん櫓を囲んでおどりましょう!」

新井薬師盆踊り大会(60周年)ついに始まるかと思った矢先、サーっと人が引いていくのが上から見えました。

ん?なぜだ?
今日はは抽選会ではなく、
盆踊り大会だぞ。
しばらく眺めながら、このまま傍観者になってはならぬと思い踊りに参加します。



しかし、


寂しい。


正直言って太鼓も鉦も合っていないし、掛け声もない。唄も録音したものを流すだけ。
せっかく60周年だと言うのに盆踊りに工夫が感じられない。
これじゃ若者はついてこないわ。

僕自身新井のイベントの中では何より期待していただけに、
落胆も大きかった事を正直に書きます。

なんだかなぁ。。

お昼に行って来た山あげ祭りと比べ、この差は何だろう。

日本全国から沢山の人が集まる東京と、地元の人がほとんどの地方。
また芸能としての盆踊りとお祭りを単純に比べる事はもちろんできません。

が、60年も続いてるんです!

沖縄の真似をするわけでもなく、徳島の真似をするわけでもなく、

60年も続いてるんです!

だから僕は飽くまで盆踊りで頑張って欲しい。

非常に無責任な言い方かもしれませんが、
もっと頑張って欲しい。

お世話になっている町だから頼まれれば力を貸すつもりですが、
もともとの地元の人が主体になって盛り上げなければ、
本当の地域力にはならないと思います。

太鼓と鉦はもっとちゃんと音を聞いた方がいいし、踊ってる人の事を考えた方がいい。
テープをやめて全部生演奏にするだけでも、全然変わると思います。
あと掛け声がない!

「あそーれ!」「あよいしょ!」

これ入れるだけで全然活気が違うのに。。

結局ダメ出しばっかりしましたが、

「オメ~なんかに言われたかね~!」
「江戸っ子なめんな!」


そういう人が出てくるのを心から期待しています。
大好きだから言ってるんです。
誤解だけはなさらないで下さい。

新井薬師
http://www.araiyakushi.or.jp/


山あげ祭り去年に引き続き今年も行ってきました、
山あげ祭り!

日本中の祭りを見れるだけ見てやろうと思っている人間にとって、
同じ祭りをもう一度見に行くというのはよっぽどのことです。



でもこの山あげ祭りはそのよっぽどなんです。


前回お世話になった松本さんの人間的な魅力もさることながら、
ここで演奏されるお囃子が僕には強烈過ぎました。
この曲に四つ打ちのバスドラ入れたらトランスのパーティーが出来ると本気で思います。
絶対にしないで欲しいけど。。

ほら



山上げ祭りでは歌舞伎の舞台をその場で組み立てるのですが、
準備が出来るまでの間(40分くらい)これ、ずーっと演奏されるんですよ。

これでテンション上がんない人いるんでしょうか?

演奏されているのはお囃子小宅流の方々で、
動画中メインで写っているのは、

笛:滝沢さん
鉦:小森さん


太鼓の方達は変形していく山車に乗って演奏されています。
(この変形する山車もガンダムマニアに見せたいくらいかっこ良くて機能的)

山あげ祭りいつまででも聴いていられて、
且つ気持ちがアガル!
炎天下の中での舞台組み立てという過酷な作業を影で支えるにはこういう曲が必要なんですね。

「新囃子」

と言う曲だそうです。



全10曲入りのCDが烏山駅近くの山あげ会館で購入できます。
1500円!安い!

ただただベタ褒めしてるように写るかもしれませんが、
この方々の演奏能力は本気で高いです。

例えば
日本の芸能に鉦は付き物ですが、
これがヘタクソな為に興ざめしてしまうパターンは非常に多いです。
小森さんは何気なくチャンチキやってますが、全然ブレません。
正直このクオリティは僕には無理(笑)

もちろん
ピリッ!のタイミング、音色、ヤバイっすよ。
このセンス溢れるメロディーを滝沢さんは表現し切ってます。

そして太鼓
会長の松本さんの話では大胴、中つけ、下つけが皆違うリズムを叩いているそうです。
このテンポですよ、普通ズレが気になるでしょう。
音の強弱も付けながらこの演奏はスゴイ!
一糸乱れぬとはまさにこの事。

ね?

ほんと、日本人はリズム音痴だなんて誰が言ってんだか。。

お囃子小宅流の皆さんと今回はお囃子の話に終始してしまいましたが、山あげ祭りの魅力は野外で披露される歌舞伎、その舞台装置及び組み立ての手際のよさ、山車引きと挙げればきりが無い程沢山あります。

興味をもたれた方は是非実際に足を運んでみて下さい。
期待を裏切らない事を烏山の方に代わって保障します。



本気で一年間お祭りの為に捧げている方々の生き様を感じますよ。

最後になりましたが、小宅流の方々との記念撮影まで段取りして頂いた松本会長、
裏話を聞かせてくださった荒井さん、一緒に同行してくれた友枝さん。

本当にどうもありがとうございました。
また来年お会いしましょう!

山あげ祭り
http://www.mt-crow.net/k-karasuyama/index.php?mode=ym


八木節を愛する者にとって夢のイベントが、
桐生中央公民館市民ホールで行われました。

八木節連絡協議会に所属する全26団体が一同に会し、
約5時間ぶっ続けで次々に練習の成果を披露する「技能研修発表会」がそれです。

まずは毎年行われるというその年のキャンペーンスタッフの認定式。
認定された方々は一年間桐生のPRのため、各地で八木節を披露されるそうです。
ではそのキャンペーンスタッフによる八木節をどうぞ!



もう、さすが本場というか。。
文句ないっすね。

唄を担当されているのは八木節仲間にその名が知られるストウさんという方。
知らないのはモグリだと言われましたが、確かにこれだけ上手い人はそうそう居ないです。

しかしこうして改めて見ると、
本当に太鼓のアンサンブルが絶妙だと思いません?

堀込源太が馬を引きながら唄っていたとか、そういう話はよく耳にしますが、
一体このアンサンブルを考えた人は誰なのか?
太鼓の叩き方まで全部源太さんが指示したのでしょうか?
だとしたら日本のジェームス・ブラウンは間違いなく堀込源太です。
大正という時代が生んだ早すぎた天才でしょう。

チャッポコチャカポコチャカポッポポコ、チャッポコチャカポコ。。
これに鉦と太鼓が入ってあの笛でしょ。
ん~、すげ~。

この曲をアレンジする時どうして皆この一番面白いリズムを8ビートとかにしちゃうのか、
僕にはさっぱり理解ができない。

超期待して買った石川晶さんのCD(その名も「八木節ドラム」)も、
やっぱり演奏はジャズ・フュージョン系。

リズムがカッコいいんでしょ!八木節は~!!(怒)

だから僕は正調が好きです。

敬意を表して参加された26チームを紹介させて頂きます。(*演奏順)

  1. 東京睦会
  2. 桐信八木節愛好会
  3. 上州八木節虎龍会
  4. 上栄会
  5. 群大工学部チーム
  6. 小倉クラッチ 小松会
  7. 境野町 敬友会
  8. 八木節保存会 美つ和会
  9. 八木節 上州睦会
  10. 太田市八木節連合会
  11. 館林市成北八木節愛好会
  12. 桐生八木節 民謡会
  13. ミスター八木節グループ
  14. 桐生八木節 天晴会
  15. 桐生八木節 桐雅会
  16. 上州八木節保存会
  17. 桐生日昇会
  18. 山田製作所八木節愛好会
  19. ミツバ八木節 昇竜会
  20. サンウェーブ八木節会
  21. 上州八木節天沼会
  22. 桐生京和会
  23. 赤城八木節会
  24. 市役所八木節愛好会
  25. 藪塚 八木節愛好会
  26. 桐生八木節 昭友会

八木節連絡協議会研修発表会さすがに26回も連続で八木節のみ聞くとお腹いっぱいになりましたが、
皆さんそれぞれ工夫されていて色んな発見がありました。

今回のイベントに誘っていただいた日昇会の丹羽幸司さん(写真右)、
どうもありがとうございました。
それではまた来月本番の
八木節まつりで。


安芸津町三津盆踊り唄

僕の実家の民謡であるこの曲を我が芸能部のレパートリーとすべく、
今回は踊りの瀧田くん、まりあちゃんを連れ実家安芸津町に戻って参りました。

毎年我が母校三津小学校運動会で披露される三津盆踊りを生で見てもらい、
その後保存会の方々直々に踊り・太鼓を教えてもらうという贅沢過ぎる程の日程です。

では早速、現役三津小学校5・6年生による盆踊りをどうぞ。
純粋にがんばっている子供達の姿を見ていただければ光栄です。

3曲メドレーで15分弱あるため、動画を2つに分けています。

「帰村・一つ拍子」




「豊年踊り」



動画では分りづらいかもしれませんが、
安芸津の盆踊りはただ輪になってぐるぐる回るだけではありません。
左右から合流したかと思うと十文字・輪・四角とめまぐるしく陣形が変わります。
その辺りに注目して見て頂くとまた興味深いのではないでしょうか。

当日は小学校時代仲の良かった同級生にも再会できましたが、
2人で当時を振り返りながら運動会を眺めるのは中々感慨深いものがありました。

今でもこうして盆踊りが続いていることを誇りに思います。
教員の方々並びに保存会の方々に感謝です。

そしてこれからは僕らの世代が盛り上げていく所存です。

菅田米穀店芸能部さて三津小の盆踊りを満喫した後は、
菅田米穀店(本部?)前で記念撮影。

今後の芸能活動にとって欠かせない、なんとも頼もしい二人です。

じいちゃんが生きてたらどう思うだろうな。。





さて、ここからが本番。
この日のために集まっていただいた、
市之町盆踊り保存会 の方々から直々に踊りの指導です。
それまでリラックスムードだった二人も真剣な表情で話を聞いていました。

以下がメンバーの方々
*順不同

地元がが誇るいわば三津盆踊りのオールスターです。

原田欣二さん
南清和さん
柄宣行さん
坂井敏雄さん
宮本教子さん
中村和彦さん
豊田昭洋さん


ビッグバンドをやっている人からすれば、カウント・ベイシー楽団にわざわざ集まってもらって教わるようなもの。なんと贅沢な。。

トータルで2時間強でしたが、最終的にはここまで踊れるようしっかり教わりました。





小学校では教えてない踊りも含め、全部で5パターンも踊りが存在します。
安芸津の祇園祭で町を練り歩く大名行列のやっこさんの動きが取り入れられていたり、
掘り下げれば踊りにも沢山の意味が込められていて興味深いです。
この辺りは瀧田くんにお任せですね。

3曲メドレーで演奏されるというのは日本の民謡の中でも特殊だと思いますが、
その演奏形態でも安芸津の盆踊りは変わっています。

まず何よりメロディー楽器がありません。

断片的にしか太鼓が出てこない、もしくはそもそもが太鼓がない、
といった民謡が多い中、太鼓しかないってのはかなり異色ではないでしょうか?

詳しくはまた別の機会に書きますが、「帰村」のリズム、これは2・4の変拍子です。
「一つ拍子」は読んで字のごとくドンとカッしか存在しない一つの拍子でドンは踊りに合わせます。
最後の「豊年踊り」はハッキリとした拍をもったリズム。
小泉文夫氏の体系化した八木節様式と言う部類に入るのだろうと思います。

余談ですがこの八木節様式で演奏されるリズムこそが、
現代の音楽に欠かせないビートまたはパルスと呼ばれるものです。
僕はここを追及していきたい。


これこそが全世界で通用するいわば汎用的なパターンです。
覚えてしまえばどこまでも応用が利きます。


なんで日本的なことをやりたいのにドラムでやるのかと最近よく聞かれますが、
当たり前の話ですが太鼓でやったらまんまになってしまうからです。

太鼓は持っていなければ演奏できませんが、リズムは知っていればどこでも表現できる。
ボンゴで演奏しようが、インドのタブラで演奏しようが、バケツを叩こうが、膝を叩こうが、
日本のリズム を表現できるんです

重要なのは使う楽器よりも、演奏する内容だと思ってます。
そりゃ、もちろん太鼓が一番いいっすよ。
けど外人さんは中々手に入れられない。
でもバケツくらいならどの国だってあるでしょう。

え~、話を戻して安芸津町の盆踊りですが、
地元にその可能性を秘めたリズムがあるというのは何とも誇らしく、
今後様々な場で発表していきたいと思います。

最後になりましたが、
お忙しい中お集まり頂いた市之町盆踊り保存会の方々、
動画UPを許可していただいた校長先生、PTA会長さん、
応援に駆けつけていただいた鈴木さん、
どうもありがとうございました。

毎年8月15日は安芸津町三津盆踊り!
機会があれば是非安芸津町に!



東広島市立三津小学校
http://www2.city.higashihiroshima.hiroshima.jp/~mitsu-sho/

類は友を呼ぶ

と昔から言うのか最近言い出したのかは知りませんが、
同じような志を持った人に出会う機会が多くなってきました。

現在おそらく唯一の音頭バンドである、
カラカラ のメンバーとの出会いもそうでした。

音頭バンド「カラカラ」先日僕宛に一通のメールが届きます。

話によるとバンドのドラマーを探していたところ、チンドン屋の高田さんから紹介され僕のブログを見たとのこと。

これはバンドにぴったりだということで、白羽の矢が立ったわけです。




音源を聞かせてもらうと皆恐ろしく上手い。
ただ最初は正直、音頭か。。
日本の音楽はダサいと言う印象を若者に植え付けた張本人と言っても過言でない音頭をあえて看板に掲げてやるのか、、うぅ、、と思ったのも事実です。

しかし、団長・萩原遼さんの
「だからこそ音頭をやる、音頭には日本の音楽の旨みが詰まっている」
という男気溢れる主張にもっともだと思いっきり納得させられ、結果的に参加を決意しました。

それから約一ヶ月、ちょこちょこ練習しつつ先週早くも本番を迎えました。
皆さん忙しい方々なので全員で演奏するのはこれが始めて。
会場はなんと文京区の銭湯 月の湯

ご主人の粋な計らいとメンバー及び関係者の涙ぐましい努力でこの本番を迎えたわけです。
実際の演奏からの一コマを紹介します。



スタンド・バイ・ミーの日本語&音頭カバーで「君がいれば大丈夫」
少ない練習でこれだけ息が合うのは皆さんの力量もさることながら、
やはり 日本人のリズム だからなのでしょうか。

こういった活動は音頭に決着をつけるという意味でとても意義があり、また楽しくもありました。
ただ僕にはどうしても拭いきれないリズムの感じ方というものがあり、
今までヘタクソながらもドラマーとして感じてきたグッとくるリズムへの執着心も捨てきれず、
結局このバンドを抜けさせて頂くことにしました。

インチキ民俗学者になるんだと割り切っていたつもりだったのに。。
割り切れていない自分を情けなく思いつつ、このバンドを断ったんだから下手な事はできねぇぞ
と気持ちを引き締めてこれからの活動を続けていく所存です。


カラカラメンバー

萩原遼 (三味線・団長)
さかもとりえ (唄)
廣瀬拓音 (ベース)
佐藤 "親方" ゆみ (ちんどん・コーラス)
鈴木 "すずめ" 恵 (お囃子・コーラス・鳴物)

サポートメンバー
小春(アコーディオン)
浦本さん(ギター)
木場さん(胡弓)

音頭バンド『カラカラ』ウェブサイト
http://www.shamisen.jp/karakara/index.html

カラカラ今後のスケジュール
浅草木馬亭:8月29日(土)
浅草木馬亭:11月28日(土)

先日江戸三大祭の一つ神田明神神田祭を見に行って来ました。

同日に亀有警察署での演奏があった為あまり時間は無かったのですが、
仕事の都合上行けるのはこの日限り。
午前中だけでもと見に行ったのです。
というのも、お囃子をやっていると必ず話に上がるのがこの神田祭の神田囃子
これを逃してはまた一年泣き寝入りなのです。

炎天下の中JR御茶ノ水駅を降るとすでにただならぬ雰囲気。
普段どこに居たのかと思うくらい活気に満ちた人達であふれ返っていました。

神田囃子あまり計画性もなく神田明神の鳥居の前まで行ってみると、

やってますやってます。
小気味いい祭囃子!








演奏されている方はさぞかし迷惑だったでしょうが、この機会を逃してはならぬと演奏が終わった直後すぐにお話を伺いました。

この時演奏されていたのは「投げ合い」と呼ばれるアップテンポな曲。
松本社中では四丁目(しちょうめ)とも呼ばれますが基本的には同じ曲でした。
絞め太鼓が一定のリズムを刻み、笛・鉦・大胴がアドリブで盛り上げます。
最後は少し長いキメのフレーズがあり終了。


お話によると宮入りの時はこの「投げ合い」しか演奏されないとのこと。
代表の立野さんという方が演奏しているから行ってみればと薦められ神楽殿へ。



真ん中で絞め太鼓を叩いてらっしゃるのが立野さん。

これまたさぞかしご迷惑だったでしょうが、映像と写真を掲載して良いですかと神楽殿の仕切りから名刺を差し出しご挨拶。
いやな顔ひとつなさらずご丁寧な対応ありがとうございました。
また改めてゆっくりお伺いさせて頂きます。

さてここでも演奏されているのは「投げ合い」

江戸っ子だってねぇ?
神っ田の生まれよぉ~!


って感じの人達が確立*したのが神田囃子だと勝手に思い込んでいるので、
他の曲も聴いてみたいってのが率直な感想でした。


神田囃子保存会の手ぬぐい時間がないので鳥居前で演奏されていた方々にお茶の差し入れをして帰ろうとすると、

「これ持って行きな」

な、なんと神田囃子の手ぬぐいをプレゼントして頂きました。



ひゃ~本気嬉しい!!

今の僕にはプラダのバッグよりも価値があるものに見えてなりません。

神田囃子保存会の方々、お忙しい中お付き合い頂きありがとうございました。
大事に汗をぬぐわせて頂きます!

神田明神

http://www.kandamyoujin.or.jp/index.html
神田囃子保存会
http://www.ne.jp/asahi/pcgnet/home/hayashi.htm

*江戸の祭囃子の発祥は葛西神社です。ここでは神田囃子というジャンルの確立という意味で言ってます。
いや~疲れた。。
けど気持ち良かった~!!

参加して頂いた方々、並びに飛び入り参加して頂いた方。
また暖かいご声援を送って頂いた方。
本当にありがとうございました。


今回は3日、6日とも精も根も尽きるまでがんばりました。
総集編ということでまず八木節の動画をどうぞ。
*注意:大音量でお聞き下さい。



前回志野まりあさんは手踊りだったのですが、なんと一週間で傘踊りをマスターし、かつ瀧田師匠のアレンジで僕らの演奏に対応した八木節の傘踊りを披露してくれました。
気合が違います!!
前さんも最高!動画を撮ってくれたナオちゃんの映像センスにも脱帽です。


続いて東京音頭
*映像と音に少しズレがありますが映像編集段階の不具合です。ご了承下さい。



瀧田くんのお母様にあたる日本民踊石川流社中の本部教授、
石川千桧香師匠
に贅沢にも参加して頂きました。

さすがというか、もう貫禄が違いますね。
今回沢山の方に見て頂きましたが、お師匠効果はすさまじいものでした。
日本伝統芸能のお偉方でありながらこれだけ飾らない方がいらっしゃるという事がなにより衝撃でした。

小さなお子さんからお年寄りの方まで(もちろん若い方も)楽しんで頂けたのは僕らの強い気持ちもさることながら、師匠のお力添えのお陰でございます
ハハ~。

今回は長丁場だっただけに色んなエピソードがありました。
上智大学の落研在籍でアメリカ出身の方が飛び入りで一席打ったり、
福岡出身の方に炭鉱節を歌っていただいたり。

また6日は雨だったのですが、土砂降りの中警官に止められた僕らを
「に~ちゃん達雨の中頑張ってんだから、やらしてやれよ!」
と、本気で僕らをかばってくれる方。
今持ち合わせががないからカンパの代わりにとカンパンを差し入れてくれる方。

皆さん十人十色でしたが、とても楽しい経験ができました。
最高のGW、もうただただ感謝。
CDを配ってくれた菱沼くんと瀧田くんの友達にも感謝。

皆様本当にありがとうございました!


菅田米穀店芸能部












最後に警官に演奏を止められた事について

僭越ながら日本のためにやってるつもりなのに日本の権力に止められてしまう。
とか言うのは言いがかりもいいとこなので、次回中野でやる時はちゃんと許可取ってやります。
中野警察署の方、JR東日本の方本当にすみませんでした。
でもも~ちょっとやらせてもらいたかったな~。。



瀧田美成

こと瀧田哲成くん。
今回は彼に参加して頂きました。

くんなんて言っちゃいけませんね、

日本民踊石川流社中連合会助教授
ビクター民踊・舞踊連盟指導員


ん~、偉い方なんです。

ただの偉い方というのは守りに入るものですが、彼はガンガン攻めてます!
「東京音頭の踊り方*」で検索すれば一発です。
民謡とはなんたるかをちゃんと理解されてます。


さてさて、東京音頭です。


日本人でこの曲を知らない人は珍しいのではないかというくらい有名な民謡ですが、
八木節等の自然発生的な民謡ではなく旧東京市のために作られた、いわゆる新民謡です。

もはや東京市の民謡という範疇を超え、盆踊りの定番曲として日本各地で踊られています。
が、
やっぱりそこは東京生まれ東京育ちの瀧田先生に踊っていただいてこそ意味があるでしょう!
お弟子さん(志野まりあさん)も踊りに華を添えてくれました。

菅田米穀店芸能部CD今回は前回の反省を含めCDも作りました。

これを計20枚。前日深夜まで筆ペンで書きあげ、さすがにちょっとくらいはお金もらってもいいかなと思いましたが、日曜日の夜という早く家に帰りたい時間帯にわざわざ足を止めて頂いたお客さんを前に、
500円です!
とは言えませんでした。

基本的に無料で差し上げたのですが、お金を置いていって下さる律儀な方もいらっしゃいました。
ですが何よりCDを通して、色んな方と交流ができたのが嬉しい事でした。
これからは習字も一つの課題だな~。。

最後にもう一度瀧田くん。

彼とはyoutubeにアップした八木節をきっかけとして繋がったのですが、
ネットで繋がる必要もないほどご近所さんでした(番地まで一緒)。
そういう点で中野という町にも感謝をしなくちゃなりません。

やっぱり次回は中野音頭かな~なんて話してますが、どうなることやら。
日曜日遅い時間まで付き合ってくれたサックスの前田さん、志野さん、瀧田くん、動画を撮ってくれた中野さん、そして見てくれた方々に改めて感謝致します。

次回は5月の3日辺りを予定しています。
興味ある方は是非!
いつでもご連絡下さい。


瀧田くんのブログ
現代に一岩を投じる、若き日本舞踊家の野望。
http://blogs.yahoo.co.jp/ttetsunari


瀧田先生による東京音頭の踊り方



安芸津町のグルーヴマスター
と言えば、この人!


当ブログ早くも2回目の登場になる原田欣二さんです。
前回はお話を聞くだけで終わってしまったのですが、
今回はそのテクニックを余すところなくご披露頂きました。

まずは安芸津町盆踊り唄(豊年踊り)



後半のフレーズを叩く時の原田さんに注目して頂きたいのですが、微妙に足の位置を変えています。
やってみると分かりますが、太鼓の皮と淵を叩き分けるのにそのままの位置では叩きにくいのです。
パッと見そんな高度は事はやっていないように思えますが、さりげない足の運び方には年月の重みを感じますね。

ちょっと脱線しますが、こういう映像はマニアックな心をくすぐるものがありまして、何年か前にリットーミュージックから発売されたJB'sのドラマーの教則ビデオ「聖典 ザ・ファンク・ドラム」を思い出したりもします。
どちらにしても個人的には図書館で保管してもいいくらいの価値ある資料であると思っています。

さてお次は安芸津町盆踊り唄(きそん、一つ拍子)



「きそん」は「カッテンドン」と頭から入り、「一つ拍子」は4回端を叩いてドン、6回叩いてドン!
それにしても、まさかこんな叩き方をしていたとは!

「派手にやりすぎてテンポが遅~なるゆ~て、歌い手のひとによ~ゆわれよ~たわいね」

と、裏話も聞かせて頂きましたが映像で得られる新たな発見は思いの他大きいようです。

この日はお昼から夕方にかけて色々な話を聞かせて頂きましたが、
そのお話だけ別で録音したかったくらい、日本昔話ならぬ安芸津昔話のオンパレード。
榊山神社の福祉会館から来島どっくが見えますが、あのガソリンスタンドからセブンイレブンに続く道は埋め立てたもので、元々あそこは海岸だったそうです。
(これは地元の人じゃないと分からんじゃろうね。。)

本当に綺麗で榊山神社からの景色が好きだったと原田さん。
言葉の端々に安芸津に対する並々ならぬ郷土愛が感じられますが、そういう景色を実体験として見て来た人達にとっての地元は僕らが考える以上に大切なものなのだろうと思います。

埋め立てられた道路を眺めながら昔の景色はどうだっただろうかと想像すると、
悔やんでも悔やみきれないくらい素晴らしい景色が広がってきます。
とは言えまだまだ沢山の自然が残る安芸津町。
誤った方向へ持っていかないようにするのは僕らの世代の大きな責任だと思います。

お後がよろしいようで。
今回も原田さん、どうもありがとうございました。

目的地なんかググればいい。

一発検索の手軽さに甘え切っていた自分が恥ずかしい。
皆さんはご存知でしょうか、榛名神社は群馬県に二つあることを。。

この日僕は榛名神社の神代神楽を見に行く予定でした。
グーグルマップに「榛名神社」と入れてエンターキーをポンと押すと、
JR上越線の沼田駅までのルートがピシャーっと表示されます。

一緒に行く予定だったnigellaさんは高崎駅からバスじゃないと行けないなどと言っていたけど、
きっと思い違いだろう。

何の疑問も抱かず
次の日高崎駅からわざわざJR上越線に乗り換え沼田駅に到着。
いや~遠かったなぁ、ちょっと開始時間過ぎちゃったけどまだ誰も来てないな。

てか誰も居ないな。
でも榛名神社って書いてあるし。

「あ、それは榛名山の方の榛名神社だと思いますよ。」

血の気がサーっと引くのを感じました。
10時から始まると聞いたのに粘り強く待ったせいでもう11時近い時間。。

あぁぁ、なんたる大失態。

榛名山は圏外だったので
nigellaさんと連絡も付かず。
仕方なく高崎駅まで戻るのですが、これまた電車がなかなか来ない。
やっと高崎駅に着いても榛名山までのバスは1時間に一本。
何しにここまで来たんじゃ~(泣)


榛名神社 神楽殿結局行きたかった方の榛名神社に到着したのはお昼の2時過ぎ。。

途中自販機で買ったファイブミニは賞味期限が過ぎていたし、本当に踏んだり蹴ったりな一日でした。

もう仕方がないので開き直って観光に徹しましたが、
静かな山奥にひっそりと佇むその社殿の姿は絶景、神楽がなくても十分楽しめる見所満載の神社でした。
(負け惜しみ)

特に本殿に向かい合う神楽殿は写真のように神々しい構えで、ここで神楽が奉納されたのかと思うと見れなかった事が悔やまれてなりませんでした。
(やっぱり悔しい。。)
*nigellaさん撮影


沼田の榛名神社せっかく行ったので榛名山じゃない方の榛名神社の写真もどうぞ。
一日に二つの榛名神社にお参りするなんて、僕はなんて信仰心が深いんでしょうね。

ちょっと高い学習料でしたが、もう榛名神社は間違えない!

来年こそはしっかり見てやると心に誓い、榛名山を後にしました。
2月14日と言えば世間ではバレンタインデーなのかも知れませんが、
埼玉の鷲宮神社では、土師一流催馬楽神楽の奉納を含む年越祭が毎年行われています。

鷲宮神社国の重要無形民俗文化財にも指定されているこの神楽は、以前紹介した江戸里神楽の源流とも言われ、関東の神楽には大きな影響を与えたようです。

一時は神楽師の減少から消滅の危機に瀕していた催馬楽神楽ですが、最後に残った白石国蔵氏と復興会の尽力により、現在は若い世代にもその芸能が受け継がれています。


基本的な演目は下の12座
  1. 天照国照太祝詞神詠之段 (あまてるくにてるふとのりとしんえいのまい)
  2. 天心一貫本末神楽歌催馬楽之段(てんしんいっかんもとすえかぐらうたさいばらのまい)
  3. 浦安四方之国固之段(うらやすよものくにかためのまい)
  4. 降臨御先猿田彦鈿女之段(こうりんみさきさるたひこうずめのまい)
  5. 磐戸照開諸神大喜之段(いわとしょうかいしょじんだいきのまい)
  6. 八洲起源浮橋事之段(やしまきげんうきはしわざのまい)
  7. 大道神宝三種神器事之段(だいどうじんほうさんじゅじんぎわざのまい)
  8. 祓除清浄杓大麻之段(ばつじょうしょうじょうおおぬさのまい)
  9. 五穀最上国家経営之段(ごこくさいじょうこっかけいえいのまい)
  10. 翁三神舞楽之段(おきなさんじんぶがくのまい)
  11. 鎮悪神発弓靱負之段(ちんあくじんはっきゅううつぼのまい)
  12. 天神地祇感応納受之段(てんじんちぎかんのうのうじゅのまい)
うん、めっちゃくちゃ名前長いっすね。
でもよーく漢字を読むと分るように、古事記や日本書紀といった日本神話を元にした演目がほとんど。
お正月には全演目披露されるようですが、今回は一部のみの奉納でした。

それでは伊邪那岐命と伊邪那美命で有名な国生みの一節、
八洲起源浮橋事之段(やしまきげんうきはしわざのまい)をどうぞ。



最近古事記にハマって読みまくっていたので、
もうイザナギの命がしゃべるだけでも大感激!

ただ神話では木の周りを回ったとあるのになぜこの神楽では橋なのか?
神主さんが質問を受け付けると仰ったので聞いてみると、

「昔の人が考えたんでしょうね。」

そうすね、、橋の方が見栄えがいいすもんね。
さて、こちらは後半部分。



このリズムと節は他の演目でも使われていて、
大太鼓がドド!ってくるとおぉぉ~またきた~!
ってな感じでその度に心躍らされました。
ここのフレーズは応用次第で特徴的なビートになりそうな予感。

また、終わる時や節目で太鼓をドンと1回しか打たないのも印象的でした。
日本音楽の大きな特徴だと認識していた2回打ちですが、
案外その歴史は浅いのかもしれませんね。

変わって12座の合間に披露される端神楽(はかぐら)。



巫女さんを演じる女の子は堂々たるものですが、中学生になると引退しなくてはならないとのこと。
少し残念な気もしますが、文字通りさまにしんでいただくという観点から考えると、
永遠である神に奉納する芸能を永遠でない一人の人間が独占してしまうシステムよりもずっと理に適っているように思います。

催馬楽神楽はあくまで神事なのですね。

芸能的な側面が強い江戸里神楽と比べ、共通点よりもむしろ相違点のほうが多い印象でしたが、
それだけにまた見に来たいなと思わせる神楽でした。

鷲宮らき☆すた最後についでと言ってはなんですが、この鷲宮神社はアニメオタクの聖地でもあるようです。

人気アニメ「らき☆すた」の舞台になった事がきっかけで鷲宮神社にはアニオタが詰め掛けるようになり、*今年の初詣では正月三が日での参拝客が12万人も増えるという異様な盛り上がりをみせているとのこと。
*MSN産経ニュースより

昼食を取ったお店では箸入れを始め、メニューのいたるところに「らき☆すた」のキャラが。
本格的な専門店もありましたし、新たな名物として定着しつつあるのかもしれません。


やろうやろうと言いながらなかなか実現しなかった路上ライブを
このたび東京中野駅前で行いました。

団体名は前々から構想があったのですが、
菅田米穀店芸能部 (かんだべいこくてんげいのうぶ)
に決まりました。
というか決めました。
菅田米穀店芸能部 八木節の演奏
菅田米穀店というのはズバリうちの実家の米屋なのですが、スーパーの台頭であったり、都心への人口の流出により存続の危機に瀕しております。
もう田舎で米を売っているだけでは厳しい状況ではあるのです。

とは言え、先祖代々続く商いですし、せめて名前くらいは残していきたいという気持ちからこの名前にしました。別に奇をてらっているわけではないのです。

日本の様々な芸能を扱っていくので、メンバーはその都度変わってしまうとは思うのですが、バンドではなく部活という括りで考えれば案外すんなりいくのではないかと。。


さてさて、何はともあれお客さんの反応がみてみたいと気合を入れて演奏に臨みました。
しかし、一曲やってみて気づいたのですが、それなりにお客さんは集まったものの、いったい何をアピールしてよいのか自分自身よく分っていませんでした(笑)
お金を儲けるためではないし、バンドの宣伝でもない。
楽しんでもらいたいだけなんだけど、やりっぱなしじゃお客さんは帰っちゃうし、なんともせつない。。
けど何をしゃべるのか?(笑)

結局意外と子供にウケがいいことに気づき、
「叩いてみる?」
と誘い込みをかけてみる。
するとこれまた意外に恥ずかしがらず、すんなりドラムの椅子に腰掛け楽しそうに叩く。
親御さんにも喜んで頂き、こういう交流もいいかも。
とか思いながらもなんか違うな~と。

なんか僕らだけでやってるってのを取っ払いたく、
「どなたか八木節唄える方いらっしゃいませんか~?」
「踊れる方でも結構ですよ~!」

と、呼びかけてみるがそんな人はそうそう中野にいない。。

「このドラムのリズムはですね、鉦をシンバルで鼓をスネアで大太鼓をバスドラで。。」
と、説明をしたりもしてみましたが、へ~そうなんだといった反応で終わり。



この動画では「日本のリズムはダサいってイメージがあるかと思いますが、
こんなにカッコイイものもあるんだってことを知っていただければ幸いです」

てなことを言っているのですが何か物足りず名刺を配ったりしてますね(笑)
結局欲しいと言ってくれた小学生にあげましたが、きっと意味分かんないだろうな~。
もっとスムーズなコミュニケーションはできないのか?

今後に課題の残る路上ライブとなりました。

土師流江戸里神楽松本源之助社中

お稽古に通いだしてちょうど半年になりますが、中々お師匠達の実際の奉納の場に立ち会う事ができず、神楽の奉納に関しては今回の湯島天神梅祭りでやっと実現しました。

自分の属している団体だとなかなか客観的に見れないものですが、
見ている内にどんどん引き込まれ気付けば素直に楽しんでいる自分が居ました。

実際の映像をどうぞ。



話をされているのが現在の四代目。
たまに話をさせていただく事があるのですが、
あぁ、これが江戸っ子っていうんだな~と。

見ていただけると分かると思うのですが、
その雰囲気から立ち振る舞い、しゃべり方に至るまでどこを取っても粋です。

そして太鼓を叩いてらっしゃるのが五代目。
僕はこの方にお稽古をつけて頂いているのですが、一言で言えば僕はこの方が好きです。
そう言わせてしまう雰囲気を持った方です。
以前教えて頂いた事で印象に残っているのが、音楽のカウントについて尋ねた際のこと。

「ロックやジャズをやる時、ワン・ツー・スリー・フォーって入るじゃないですか。
 あれには昔から違和感を感じていて。。
 かといって、いち・に・さん・はいって訳にはいかないですしねぇ。。」

よ~おっ でしょ。」

これは本当に目から鱗でした。
そもそも日本では数字で数えないんすね。
言われてみれば宴会の席の一本締めで、いち・に・さん・はいっなんてやってる人いないすもんね。。

さて、少し僕の知っている限りで動画の内容に触れると、
ここで伴奏に使われているのは江戸の祭囃子が元になっています。
(屋台、鎌倉、四丁目etc)
常に舞手に合わせて演奏しているので、言うなれば即興の舞台音楽ですね。
場面によって演奏の雰囲気ががらっと変わるのが分かると思います。

ここからは四代目の大黒様。



見ている方は楽ですが、演じている方はお面を付けていてほとんど視界が遮られていることを考えるといかに大変かが分かると思います。
鉢巻のやりとりなんかはかなりベタなギャグかと思いますが、
師匠がやるとなんでこんなに面白いんでしょうね?
こういう雰囲気は僕らのような若造には到底まねのできないものだと思います。

YouYubeは最大アップできる時間が10分なのでこの辺りで切って最後の部分。



獅子がお金食ってます。
実在する動物ではないのに、なぜかそれっぽいと思ってしまうのは僕だけでしょうか?

観客を引き込む演出。
福も笑いももたらして、楽しい気持ちで新年を迎えられる。
全てを見終えて、改めて芸の緻密さ、芸能の完成度の高さを感じました。


畏れ多くも僕はこの芸能の中から、日本的ビートとして使えそうなものを抜粋してやろうと密かに計画しているわけですが、芸が深すぎてなかなか簡単にはいきそうにありません。。

大好きな大好きな松本社中。
これからもいい関係でいたいものです。

※ここで紹介した「寿獅子は」江戸里神楽の演目ではなく伊勢から流れてきた太神楽の獅子舞を江戸の神楽が取り入れたものです。


出会いというのは不思議なもので、
時に想像できない程ドラマチックだったりします。


「金町八木節いち六會」さんとの出会いも、そんな中の一つです。

今年に入り昨年の反省も含め、もっと正々堂々と自分がやっている事をぶつけてみようと思い、
桐生八木節まつりへの出演という新たな目標を設定しました。

じゃあ、いったいどうすれば出れるのか?

桐生市役所観光交流課、桐生商工会議所、協賛会事務局と立て続けに電話しましたが、
中々確信的なことは聞けずたらい回しに。。
桐生市の中でも出し物の管轄は町ごとに分かれており、各町会長さんに聞いたほうが早いとのこと。

そんなこんなで辿り着いたのが本町五丁目の町会長さん。

突然の問い合わせに最初はかなり警戒してらっしゃいましたが(無理もないですけど)、
八木節への情熱を伝えるや否や町会長さんの対応は一変!
まくし立てるようにおまつりの話をしてくださいました。

話によると出演者は基本的に抽選で決められており、
尚且つ、樽、鉦、笛といったオーソドックスな八木節スタイルが出演条件とのこと。
あぁ、これは諦めざるをえないかと肩を落としていると、

「そういえば東京に踊りやってる団体があるから紹介しようか?」


と、思わぬ展開。

「ぬ?」

聞けば3年連続で八木節まつりに出演しているとの事。

「一緒にやりゃ~え~がや!」

おおおぉぉぉ!そりゃーえがや!
と、こちらも興奮し勢い勇んで教えていただいた連絡先に電話。

「プー、この番号は現在使われておりません....」


うぅ、万事窮すか。
いやもっかい町会長さんに聞こう。

「ケータイ電話にかけりゃ~え~がや!」

あ、それならその方がえーがや!

と、まぁこんな感じでやっとコンタクトがとれたのが、
金町八木節いち六會の安斎律子さんです。

電話で話す限りものすごく腰の低い割とおっとりした方というイメージでしたが、
会いに行ってビックリ!

「私、前までモヒカンだったのよ、髪の毛30センチ以上切ったの。
あれ昔流行ったでしょ?」


いや~、わかんないすけど流行ったのかな。
現在も独自のヘアースタイルで昭和風に言えばかなりイケイケな感じ。
以前はジャズダンスをやっていてインストラクターの資格を持ってるとか、「笑っていいとも」の腕相撲選手権で優勝したとか、かなりのツワモノでした。

金町八木節いち六会の皆さんと写真は左下から、安斉さん、前田さん、副会長の井波さんと僕です。

*副会長さんのお店にて撮影


皆さん本当にいい人達で、なんだかんだでめちゃくちゃご馳走になりました。
本当にありがとうございます。



さて、金町八木節いち六會は毎月不定期で土曜日に踊りの発表をしています。
場所は金町の末広商店街。
この日は豆撒きで、豆以外にも色んなものが撒かれるということで子供から大人まで沢山の人でにぎわっていました。



単に見学ということでお土産くらいしか用意せず、軽い気持ちで訪ねて行ったのですが、
以前に演奏した僕らの動画を見ていただいていたこともあり、
僕ら以上にやる気になっていただいて、恥ずかしながら町民の皆様にマイクで挨拶までさせていただきました。。

もうここまで来たらやるしかない。
SAXの前田さんがチンドン屋さんなので本業に差し支えない程度に、
とも言ってられないので少々無理してもらっていち六會さんとの共演を実現します!
演奏のみの僕らと踊りがメインのいち六會、願ってもない組み合わせだと思います。

僭越ながらもしこの共演が金町の一つのスタイルになったら、
金町でドラムが叩ける若い人に託したいとも思っています。
お祭り、地域の芸能はその町の為にあるものですから。

共演が待ち遠しいな。
いち六會の皆さん本当にありがとうございました。
これからもよろしくお願い致します。

後日桐生本町五丁目の町会長さんにお礼の電話をしましたが、
僕らが繋がった事をとても喜んでくれました。
名前は伏せておきますが、本当にありがとうございました。


桐生八木節まつり
http://kiryu-maturi.net/
金町八木節いち六會
http://www.geocities.jp/yagibusi_ichirokukai/

追記:
ちなみに足利が本場か桐生が本場かという問題もありますが、原曲の生まれが桐生、唄い広めた堀込源太が足利というのが僕の認識です。(岩波書店、日本民謡集参照)






風間雄太くん

ブラジルはサルバドールでの滞在中仲良くなった友達の一人で、
一時は同じ屋根の下二人で住んでいた事もある僕にとっては兄弟のような存在です。
そんな彼と昨日近くの居酒屋で飲みました。

その席上、
「光司郎くん、あの動画アップするっつて全然アップしないじゃん」
と、サルバドールで録画した動画の事を指摘された。

ああ、そうかあれか。
確かに。。

僕らがまだブラジルに居たころ、結婚した友人から披露宴で使いたいのでブラジルでの演奏シーンを撮って送ってくれと頼まれました。
そこでカポエラ(ブラジルの格闘技)をやっている雄太くんとカポエラ仲間であるメストリ・ミシェルにお願いし、ビリンバウ(カポエラで使う楽器)とのセッションを録画したのです。

動画はまぁ、これなんですが。



みんな黒いな~!?
あ、ミシェルは地黒か。

このセッションをする前ミシェルが言っていた事は今でも覚えています。

「俺はアフリカの伝統的なリズムじゃないとやりたくない!」

さすがは若くしてメストリ(カポエラの最高位)の称号を勝ち取っただけのことはある、
ルーツを大切にした誇り高い主張です。

まぁ、結果的にはアフリカとは関係ないリズムで彼が一番はしゃいでたんですけど(笑)



ただ、彼の要求が僕にはとてもショッキングで、
アフリカもいいけど日本のリズムで行こうよと日本人であるはずの僕がなんで主張できないのか。。
アメリカのリズムの方が乗りやすいよと、なんでアメリカ人でない僕が提案するのか。。
結果的にとても楽しかったけど、何だか自分が何者なのか分からなくなってしまうような、
そんな複雑な気持ちになった事を覚えています。


この時感じた事は今の活動の元になっているわけではありますが、
いつかまた日本的ビートで共演したいものです。

雄太くんは現在日本でカポエラの指導、普及に努めています。
カポエラの本場サルバドールでそれこそ本当に極限の状態で真剣に練習していた彼の姿は美しいものでした。

信じるものを見つけた人間は、ただもうひたすらに進むしかないのだと思います。
結果がどうであれその進んでいく過程はやっぱり美しいものなのだと思います。


坂口恭平

僕自身の割と狭い交友関係の中で色々な人に怒られ、諭され、励まされてきましたが、
彼ほど本当の意味で僕に説教をしてくれた人は居ません。

彼自身の活動はネットや新聞等で見てもらえればよく分かると思いますが、
僕の稚拙な文章では表現しきれない程多岐に渡っています。
写真、エッセイ、建築、デッサン、漫画、音楽、映像等々、ありとあらゆるもので坂口恭平を表現している、彼自身の言葉を借りれば「表現者」です。


彼とは以前「MAN」というバンドを一緒に結成して音源を録音したりしましたが、彼の海外での活動が忙しくなったりする中で現在は活動していません。

僕がブラジルから帰った折、以前のメンバーも含め僕の構想を聞いてもらったのですが、

「がっかりした、菅ちゃんブラジルでデビューして帰ってくるのかと思ってた。」

かな~りキツイ言葉でしたが、いやいや違うんだと、これから日本のビートをドラムでやるために全国を回るんだ、それに気づかせてくれたのがブラジルだったんだと言うと。

「なんだよ、ただの決意表明かよ、なんの実績も残さないでそんなの聞きたくない。」

うぅぅ。。

それから怒涛のごとく彼の説教は続きました。
もうこっちは泣き出さんばかりの心境でしたが、
こん畜生!絶対やってやる、それにはとにかく動いて示すしかない。

基本的に出不精な僕がこのブログで短期間に色々回れたのも彼の説教によるところが大きいのです。

そんな彼に今回は彼の出身地である熊本の民謡「牛深ハイヤ節」をお願いしました。
内容はこの通り。



それなりに僕がイメージしていた内容にはなりましたが、
ここでもうひと説教。

「そこそこいいのは出来たけど、やっぱ牛深行ってきちんと研究しないと」

そりゃそうだ。
八木節がわりとうまく行ったもんだから、調子に乗って斎太郎節、ハイヤ節ときたけども、
大切な部分を忘れてしまっていました。

長い年月をかけて出来上がった作者も分からない民謡を僕らがちょこっとCDを聞いてホイできましたと言ったところで、誰も聞きはしないし失礼だ。

ということで、この映像はあくまで途中経過ということで見て頂ければと思います。
ただCDを聞きまくって浮かび上がってきた締め太鼓のアクセントの謎(かなり変なアクセントの付け方をしています)もありますし、そこは今後牛深へ行って確かめてきます。

「著作権の問題は大丈夫なの?」

民謡に著作権は無いだろうと高を括っていましたが、確かめてはいませんでした。
僕らの演奏の元ネタになっている「ふるさとの民謡」シリーズの発売元であるキングレコードさんに問い合わせたところ、音源をそのまま使用するのでなければ著作権には抵触しないとの事。

こういうところも含め、きちんと調べた上で行動を起こしてこそ品質が上がるという事に改めて気付かされました。

応援してくれているからこそできるキツイ説教。
将来を見据えて叱ってくれる人は大事にしたいものです。


0円ハウス -Kyohei Sakaguchi-
http://www.0yenhouse.com/house.html


前回の八木節に引き続き、今回は宮城が誇る漁師の民謡
斎太郎節に挑戦しました。

八木節が割と評判が良かった事を受けて
今回から「本気で民謡プロジェクト」と題し、
日本全国の民謡に新しい世代なりの解釈で取り組んで行くことを勝手に決意しました。
ただし節操もなく取り組むのではやらないほうがマシなので、以下の事だけは堅持しながら継続して行こうと思います。

1.メンバーの中に必ず一人はその民謡が生まれた地方の本場の人間を入れる事
2.和楽器は用いない事
3.必ずみんな歌う事
4.原曲を侮辱するような意図を持つ人間は参加させない事
5.原曲のリズムを大切にする事


以上の5点です。
それぞれ理由としては、

1.地方性を重視したいため、現地の話が色々聞けるため
2.和楽器を用いる事によって図らずも安易に和風になってしまうのを避けるため
また、用いる楽器が和であることよりも演奏する内容及び演奏者自身が和であることを重視するため(※現在和楽器と呼ばれるものの概念は全て明治以前で止まっているわけで、今後海外から入って来た楽器が和楽器と呼ばれるようになる時代が来ないとも限らない)
3.一体感を重視するため
4.当然でしょう。。
5.日本的ビートの探求という大儀を忘れないため


といった具合です。
長くなりましたが、それでは今回の斎太郎節について。

この曲の由来については諸説あるようですが、
個人的には萩原健一さんの主演映画「青春の蹉跌」の中でそれとなく歌われていた曲としての印象が強いです。
エンヤードット、エンヤードットの掛け声が一度聴いたら忘れられません。

そして今回メインでお招きしたのが、佐藤瞳さん

学生時代同じジャズサークルでずっと一緒に演奏していた事から今でも付き合いのあるピアニストの一人です。
当時からお世話になりっぱなしで僕にとっては東京の母のような存在ですが、
現在も都内のジャズ系ライブハウス、バーなどで活躍中です。
信頼する彼女の出身地である宮城を代表する民謡ということで斎太郎節な訳ですが、
実際の演奏はこんな感じになりました。



いや~、俺歌下手ですね~(笑)
宮城の皆さんすみません、でも歌いたかったんです。
プロジェクトの条件に歌の上手い下手は問わないってのを追加しないといけないですね。
それに比べ瞳姉さんはさすがですね、エレピの演奏も何とも艶っぽい!

この動画の録画中、斎太郎節についてみんなで話す場面があったのでそれも紹介します。



話題になっている斎太郎節の歌詞はこちら

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1.
松島のサヨー
瑞巌寺ほどの
寺もないトエー

(サビ)
アレワエートソーダ
大漁ダエー

2.
沖は雪サヨー
きて行かしゃんせ
茶のどてらトエー

3.
押せよ押せサヨー
二挺櫓(にちょろ)なら近い
塩釜がトエー

4.
前は海サヨー
うしろは山よ
小松原トエー

※歌詞に関する著作権はすでに有効でないものと認識しています。
問題があるようでしたらご連絡下さい。


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浜供養
なる行事があることが分かったり、本場の方を招く利点は想像以上に大きいですね。
ただ歌詞の内容については後で変えられたりしているものが多く、国自慢系の歌詞はその類が多いようです。ただ国自慢自体はむしろ良いことなので僕はこっちを尊重します。

結果はどうであれ、これは続けていくことに意味があると思います。
今後は安芸津盆踊り唄、牛深ハイヤ節、久留米そろばん踊り等を予定していますし、
じゃんじゃん行くつもりです。
このブログを見てくれている人は少ないとは思いますが、もし

「うちの町のこの民謡やりたい!」

なんて人が居たら大歓迎ですので、ご連絡お願い致します。
最後になりましたが協力してくれた瞳さん、小池くんどうもありがとうございました。
路上ライブもヨロシクね☆



前田悠太郎

以前チンドン屋さんの取材で楽士として登場してもらったこの人に、
今回は八木節で共演してもらいました。
彼との付き合いは学生時代からあるのですが、ホント上手くなりましたよね~。
そしてこの前田さんなんと八木節の本場足利の出身なんですね~☆
いや~本場の方にわざわざお越し頂いて贅沢の限りです。

演奏の方ですがもうこれは観てもらった方が早いでしょう。



歌は二人とも素人ですが、それなりにまじめに歌おうとする僕と、
本場の余裕からかかなりアレンジして歌う前田さんの対比が面白いかと思います。
ただ参考にした音源は「ふるさとの民謡 第5集 [関東編]」であるため、
歌詞は桐生で歌われている内容(国定忠治)になっています。
中々足利の音源ってないんですよね。。
情報あればお願いします。

最後はスタジオの時間が来てしまってスタッフの方が入ってこられましたが、
一番乗っていたので最後までやらせてもらいました。
ビックリされたでしょうね、ほんと失礼しました。
※一応スタッフの方に動画アップの許可は頂きました(笑)

演奏の後、前田さんを僕の部屋に招き二人で撮った動画を見ていたのですが、
この異様な雰囲気での二人の会話が結構面白かったので練習風景もアップしておきます。





なんだか変な話ですが、
音楽ってこんなに楽しかったのか。。
という気持ちを久しぶりに味わいました。

ただひょっとすると八木節の保存会の方の中にはこれを見て、
「八木節を侮辱してんのか!」
と、怒りをあらわにされる方もいらっしゃるかもしれません。
ですが、僕らは本当に八木節を好きなんだということだけは理解して頂きたいと思います。

まだまだ勉強不足ですが、日本の民謡の中でも八木節は僕らの世代にとって
一番馴染みやすいタイプの音楽だと思っています。
シンプルな構成、一定のリズムのループ、アドリブの要素、これらを全て備えている民謡はありそうで中々ないです。
現代のダンスミュージックに欠かせない要素を八木節は大正時代に既に持っていたわけです。

ついでにこれは言わせてもらうと、日本の伝統音楽のガイドブック(?)的なものを読むと必ず書いてある保存会なるものがある時点で既にその音楽は終わっている主張。
あれは一部分では当たっているでしょうが、ひとつ見落とされがちな点を指摘しておきます。

それは気合いです。

足利で見た朝倉八木節保存会には確かに気合いがありました。
これはうちが本場なんだという誇りがありました。
そういう側面を無視して音楽をただ音楽として捉えたら何のロマンもありません。
僕はそう思います。
大学のサークルでよくあるジャズ研究会も今やジャズ保存会。
ヴィジュアル系の音楽だって100年後には保存会ができているかもしれません。
保存会という言葉尻だけを捉えてその音楽を判断するのはあまりに短絡的すぎると思います。
気合の度合いによっては時に保存会はロックやパンクを凌駕するのです!

少しは僕の八木節に対する想いが伝わったでしょうか?
つーか朝倉八木節保存会、マジかっこよかったっすからねぇ。

さて、このコンビ。
これで終わるのも寂しいので、今後路上等で演奏したいなと思っています。
日本の芸能の原点は大道芸ですからね。
まぁ基本的に八木節しかやらないですけど。。


前田さんブログ(ゆうたろう日記)
http://yutarosax.cocolog-nifty.com/blog/
僕にとって地元の誇りである、安芸津町盆踊り唄が久々に生で聴けるということで、
「火とグルメの祭典 ~安芸津フェスティバル~」へ行ってきました。

広島杜氏年に一回行われるこのお祭りでは、地元の特産であるジャガイモを使った団子、ドーナツや、広島杜氏の祖・三浦千三郎の故郷であることから広島の銘酒の試飲会など、様々な出し物が好評です。






その中でも一番の見所はなんと言っても保野山の「万」の字焼き

万の字焼き夕方日が落ち暗く静まり返った保野山の山頂。
そこから幻想的に浮かび上がる「万」の文字には誰もが息を呑みます。

京都の五山送り火をベースにしながらも、かつて万葉集の歌に詠まれた町であることから「万」の字を採用したところは先輩たちの意地とセンスに拍手を送りたい気持ちです。
ちなみに下がその一句。

吾が故に 妹嘆くらし 風早の 浦の沖邊に 霧たなびけり

旅立つ夫に妻は、
「もし旅先で霧を見たなら、私が悲しみ嘆いていることとお思い下さい」
と告げて別れます。
こんなことを言われたら余計に別れづらくなりそうですが、旅の一行が安芸津町の風早に到着した際、申し合わせたように霧がたなびいたとのこと。

今も昔もロマンチストってのはいるんですね。
千年以上経っても変わらない人間の本質的なものを感じます。

さてさて、それでは僕のかわいい後輩にあたる三津小学校の生徒達が演奏してくれた安芸津町盆踊り唄(豊年踊り)をご覧下さい。
※動画のアップは校長先生直々に許可を頂きました。



いや~、かわいらしい。
もうちょっと元気が良くてもよかったかなとも思いましたが、演奏後のインタビューで
「今日は25点でした。。」
と、客観的な判断もできる自分に厳しい安芸津っ子です。

こういう経験を小学校の時にしておくというのは本当にいい事で、
僕もそうですが大人になってその有難味が良く分かります。
運動会の時は全校生徒で今も行われているようですが、指導を続けられている原田さん他有志の方々に感謝しつつ今後もこれだけは絶対守って行きたいと思います。

さて、この日は素敵な出会いがありました。
このお祭りでプロとしてエレクトーンを演奏されていた谷真一さん、歌手のゆうきさんの二人です。
彼らは僕と同じ三津小学校出身ですが、まだ22歳と若くちょうど僕が6年生の時1年生だったというギリギリ同じ空気を味わった世代です。

彼らに僕がやっていることを伝え、西洋の楽器で安芸津の盆踊り唄を一緒に演奏したいと申し出たところ快く引き受けてくれました。
最近こういう話を色んな方にしますが、意外にも僕の意図をすんなり理解してくれるのは僕より若い世代の人です。

ひょっとしたら日本の音楽もこの世代辺りから新しい方向へ向かって行ってくれるのではないかと淡い期待を寄せつつ、来年はこの三人でお祭りのステージに立つことを約束しました。
今からわくわくしています。

欧米文化にべったりの人にも日本の文化を保存しようと頑張っている人にも
「こりゃええのう!」
と言われるような地域独自のものを目指して頑張って行こうと思います。

追伸
とりあえず勢い余って一人で演奏してみました。



やっぱり一人だと息が続きませんね。。
僕も25点です、はい。
三人での演奏が撮れればその都度アップしていこうと思います。

谷真一さんのブログ
http://mignonorchestra.blog103.fc2.com/

重松流祭囃子(じゅうまつりゅうまつりばやし)

なんじゃそれは!

江戸の祭囃子といえば葛西流の流れを汲むものしかないのでは?
と、勝手に思い込んでいましたが、古谷重松という人が広めた別の流派のお囃子であると知り、
意外に近場の所沢市へ行って参りました。

お祭りの名称はそのまんまところざわまつり」です。

ジャズ・ラテンバンド、サンバカーニバル、よさこい、かっぽれ等なんでもありの出し物の中、
山車に乗って演奏されるそれは日常的な風景を一気に吹き飛ばす不思議な異空間を作り出していました。



この天狐の動き、やばいですね~。
マイケル・ジャクソンですね~。

日本のダンスシーンにもこの辺りから派生したものがあるのでしょうか?
ちょっと気になるところです。

ところざわまつり左の写真はひょっとこですが、他にも獅子等様々な演目が披露されていました。

各町ごとにお囃子の団体が組まれ、小さな子供もひょっとこを演じていたりしましたが、とても可愛いらしかったです。





さて、こうも魅力的なものを見せられてはやってみたいと思うのが人情。
ということで、色んな団体に聞いてみましたが、どの団体も各町の代表としてお祭りに参加していて、
その町に住む住人でないとお稽古に参加できないとの事。。

これは少々残念な気もしましたが、そのような体制で未だにお祭りが続いているという頼もしい事実でもありました。


本家重松流祭り囃子の方々右の写真は所沢重松流の団体の中でも、本家にあたるという旭町の本家重松流祭囃子の方々。
演奏も抜群でした!

左から二番目の朝倉涼介さんは忙しいお祭りの最中にもかかわらず、僕のずうずうしい質問に丁寧に答えて下さいました。



「祭囃子の団体を持つ町の住人であることが、お稽古を受ける条件ということは、旭町に住民票を移せば問題ないということですね?」

という僕のアホな質問にも、「それであれば問題ないと思います」と答えてくれたイケメン朝倉さん。
この場を借りてお礼申し上げます。

この重松流祭り囃子、さらっと調べてみたところ現在では福生市、東村山市、あきる野市等広範囲に伝承しているようです。
興味のある方は是非足を運んでみて下さい。

重松流祭囃子保存会
http://www.juma-ryu.jp/

お神輿担ぎ手募集中!!

中野区新井の町のいたるところに、
このような内容の張り紙がはられていました。

最初のうちは「大変だねこの町も」
などと他人ごとだったのですが、
考えてみればここに住み始めてはや三年目になるわけで近所に親しくなった人が居ないわけでもなく、
なんだか手伝ってあげたいなと思うようになりました。

体力に自信があるわけではないので力になれるかどうかと思いながら開催日時を見てみると、
ちょうど実家に戻る日。







ん~












まぁいいか。。。








とも思いましたが、なんだか逃げて帰るみたいで嫌な気持ちになり、
結局近所に住む小池君に取材をお願いすることにしました。
いつも巻き込んで悪いね、これからもよろしく(笑)

例祭の行われた北野神社は新井四丁目にあり通称新井天神と呼ばれています。
御祭神は菅原道真と保食神です。

小池君が撮ってくれたのがこの動画



これを見る限りお囃子は葛西囃子系列のものだと思われます。
曲は屋台ってやつですね。
地元の団体か、それとも他の町から呼んだのでしょうか?
お祭りに彩りを添えています。

彼らが練り歩いているのは僕も毎日通っているアイロード(近くの新井薬師が眼の病にご利益があるからアイ)ですがいつもとは違い活気がありますね。
この道は北野神社へ参拝する時の参道であった頃のなごりで、いまだに煎餅屋さんや飴屋さんが軒を連ねています。

※余談ですが先月の中野区報の中に、「この辺りも昔は田んぼが沢山あって学校からの帰りには川で魚を取って遊んでいたんですよ」と語る女性の記事がありました。
こんなところに田んぼが!?とビックリしましたが、
経済発展の名の下に失われた風景というのはあまりに大きいのですね。

中野区という大都市東京のど真ん中にありながら、こうして地元のお祭りを残していこうとする姿勢には強く勇気付けられます。
混沌としてしまった東京の町で地方出身者も神輿を担ぐことでお祭りに参加する。
これはお邪魔させて頂いている土地や氏子の方々へのお返しをする
いいチャンスなのではないでしょうか。

北野神社 神輿最後に小池君と一緒に取材に参加してくれた瞳さん、名和君、どうもありがとう!


いや~、来年はちゃんと参加しよっと。







北野神社(新井天神)
http://goshuin.kokon.asia/touto_jinja/14_kitano_arai_nakano.html

天祖神社(てんそじんじゃ)
は別名神明神社(しんめいじんじゃ)、神明社(しんめいしゃ)、皇大神社(こうたいじんじゃ)とも呼ばれ、三重の伊勢神宮を総本社として全国に約5千社あると言われています。
これらの神社は天照大神を主祭神とし、通称「お伊勢さん」と呼ばれることが多いそうです。

とまぁ、ウィキペディアからガンガンコピペしながら偉そうに書いているわけですが、
今回は東京都文京区本駒込にある天祖神社のお祭りへ行ってきました。
というのも、現在通っている松本源之助社中による奉納があると聞いたからです。

松本社中をはじめ江戸に残る里神楽の団体は祭り囃子の演奏も兼ねる事が多く、
今回撮影したのもその祭り囃子です。



いや~何度聞いても江戸の祭り囃子には胸躍ります。
お祭りと言えばこれって感じですよね?

真ん中で演奏しているのが5代目の若師匠ですが、後で伺ったところ当日は朝6時の宮出しから参加されていたそうで。。
お祭りって開始が早いんですよね、ほんとお疲れ様です。

普段のほほんとされている師匠ですが(こんな事書くと怒られっかな?一応許可は頂きましたが)、最初にお稽古の見学に伺った時のこと。
僕がブラジルでドラムを習ったりしてる内に感じた違和感の事を話すと、

「そうでしょう、猿真似でしょう。」

と、はっきり仰いました。
最近この言葉がひどく身に染みます。

音楽の良し悪しは個人が判断するものですから、聞く人によってカッコ良くも悪くもなるでしょうが、
猿真似ってのはやっぱりカッコ悪いですよね。
アイデンティティというのは最終的には個人に帰結するのでしょうが、日本という国の中での自身のアイデンティティと海外へ出た時のそれとを同一化するためには小さな頃から地域の文化に触れる機会が多いに越した事ははありません。

資金繰りの問題で三年に一度になってしまったというこの天祖神社のお祭りですが、これから生まれてくる新しい世代の為にもがんばって残していってもらいたいと願うのでした。

文京区天祖神社

http://www.city.bunkyo.lg.jp/visitor_kanko_jisha_tenso.html

祭本来の姿

とでも言うのでしょうか。
先日訪れた岸和田のだんじり祭ではごく日常の延長線上にある、町対抗の大運動会のような印象を受けました。





岸和田城岸和田藩・岡部氏の城下町として栄えた岸和田は、明治以後もその立地条件の良さから大阪のベッドタウンとして発展。

にもかかわらず岸和田城をはじめとする情緒ある町並みが数多く残り、こんな所に生まれたらきっと離れたいなんて思わないだろうなと、よそ者ながらに思ってしまいました。


あまりにも理想的な発展の仕方をしたお陰でしょうか、岸和田には他の町で見られるような保存会の類は存在しません。
そればかりか、だんじりに参加する町団体はまだなお増え続けているそうです。

だんじりの全てが分かる!
という言葉に乗せられて立ち寄っただんじり会館なる資料館の販売店では単にだんじり祭のものだけでなく、各町のロゴが刺繍された巾着袋等、町ごとのグッズが並べられていたことにも驚かされました。
この元気の良さを前にしては伝統という言葉すら無意味に響いてしまいそうです。

さてこの資料館。
最上階には特設スペースがあり、簡易版の山車に乗って演奏することができるのです。
お、何やら親子連れが興味を示しているな~とか思っていると、
さっきまで手をつないでもらっていた少女が太鼓を叩き始めました。

うぅ、上手い

地元の子だったのでしょうか?
それにしてもうまい!
一瞬自分の目を疑いましたが、紛れも無い現実でした。
さっき道で聞いていただんじりのリズムです。
そうこうしている内に近くに居た地元の高校生らしき四人組が演奏を始めました。

うぅぅ、もっと上手い


同じフロアにある3Dだんじり上映の為並んでいたのですが、これを録らなきゃ来た意味ねえ!
と思い3Dは後回しにして撮影させて頂きました。



あとで少しお話を聞かせて頂きましたが、こちらも昨夜寝ないで岸和田に着いたこともあり、
ろくな質問ができなかったのが悔やまれます。
演奏していたのは、

大太鼓:胡摩崎さん 
鐘:仲塚さん
笛:貝さん
小太鼓:田中さん


の四人で、小学校の頃から演奏しているとのことでした。
突然声を掛けたのにもかかわらず携帯で録っただんじりの映像を見せてくれたり、知らないおじさんに付き合ってくれてどうもありがとうございました。

お祭りが町の人にとって(負の意味での)特別なものではなく、お祭りがお祭りであることも忘れてしまう程生活に密着していることを感じさせられた岸和田だんじり祭。
経済の発展が必ずしも伝統的な行事に悪影響を与えているわけではなく、それを運営していく側、行政の力によってもまだまだできる事はあるのではないかと考えさせられる道行でした。

岸和田だんじり祭

http://www.city.kishiwada.osaka.jp/danjiri/

ブラジルはサンパウロでこのブログ企画の構想を練っていた頃、ほぼやみくもにネットで日本の伝統芸能を検索していてまず最初に僕の心を掴んだのが神楽でした。

その時観たのは石見神楽
の映像でしたが、江戸にも里神楽と呼ばれるものがあります。
里神楽という名称はもともと宮中の御神楽と区別するために用いられ、石見神楽もその中に含まれますが、狭義には江戸里神楽を指すようです。

江戸里神楽にも大きく分けて江戸流相模流の二つの流派があるのですが(ややこしいですね)、今回取材させて頂いたのは相模流の代表的団体の一つである萩原正義社中(板橋区)の里神楽です。

五代目萩原正義どちらの流派も埼玉県北葛飾郡鷲宮町の鷲宮神社(わしみやじんじゃ)に伝わる土師一流催馬楽神楽(はじいちりゅうさいばらかぐら)より端を発しているようで、演目等共通する部分が多いですが、能の影響から摺り足の多い江戸流に比べ相模流は派手な見せ所が多い点が特徴だそうです。

また七福神等相模流でしか演じていない演目もあります。

写真は今回(いつもそうですが)何のアポもなく、楽屋に失礼したにも関わらず快く迎え入れていただいた五代目萩原さん



さて、実際に見た感想ですが、里神楽というのは基本的に黙劇(会話を用いない劇)なのでその分表現がオーバーで、登場人物達の関係はなんとなく分かったのですが、内容に関してはある程度予備知識が必要でした。

動画は八幡山(やわたやま)と呼ばれる演目の一部で、神功皇后(じんぐうこうごう)三韓征伐の出征をするにあたって、武内宿禰(たけのうちのすくね)から弓を受け取り
弓の舞を舞う場面だそうです。



石見神楽でも演じられる有名な演目のようですが、韓国での公演ではさすがに演じることはできず困ってしまったそうです。
日本の伝統芸能が歴史とは切っても切れない関係であること、伝統があるだけに芸能だからと簡単に割り切れないことを象徴しているようで非常に興味深いお話でした。

それにしてもこの笛と太鼓の演奏独特ですよね。
渡辺貞夫さんのバンドでドラムを叩いていた原田寛治さんも一時萩原社中に所属していたことがあるそうで、プロのドラマーが目をつけるのも無理はないと思います。

相模流萩原社中相模流萩原社中








取材を快く引き受けて頂いた萩原正義社中の皆さんどうもありがとうございました。

江戸三大祭りの一つ
ということで行って来ました。

深川八幡祭り今年は三年に一度の本祭で、各町内から計55基の神輿に加え岩手県平泉町の町神輿1基が特別参加したそうですが、生憎のお天気。

深川八幡祭りは「水かけ祭」と呼ばれるように神輿に清めの水がかけられるのですが、小雨の降る中担ぎ手が風邪を引いてしまわないかと余計な心配をしてしまいました。



それにしてもとにかくすごい人で、1807年(文化4年)に見物人が集中し過ぎて永代橋が崩れて怪我人が出たというのも頷ける大盛況ぶり。
今回の例大祭に訪れたのは約31万人だそうです。
ヒ~、ホントろくな写真が撮れませんでした。
「ワッショイ、ワッショイ」

と神輿が通り過ぎる中、目を引いたのは、箕輪家流墨田囃子保存会の皆さんの演奏。
会長の安藤明さんにお話を伺ったところ、江戸の祭り囃子は諸説はあるものの発祥は葛西神社の神主さんがまとめた和歌囃子(馬鹿囃子とも)と言われ、青少年の健全な育成に指導教育されていたものだそうです。
またブラジルとの比較になりますが、青少年の更正に音楽指導を利用したという意味ではサルバドールの太鼓集団OLODUMと重なるところがあって面白いですね。



さて皆さん黙々と演奏されていますが、これめちゃくちゃ難しいんですよ!

というのも最近東京チンドン倶楽部の高田さんの紹介で日暮里の松本源之助社中にお世話になっていて、僕も江戸の祭り囃子を習っているのです。
アドリブが含まれる点ではジャズに似ているところもありますが、
小節の概念が無い点で西洋の音楽とはまったく次元が違います。

よく、「慣れだよ、慣れ」って言われますけど。。。
まぁそうなんでしょうね。
今後ドラムでもアプローチしてみたいですけど、ビートと言うよりは楽曲です。

演奏される曲は
・屋台
・昇殿
・鎌倉
・四丁目
・神田丸
・麒麟
・亀戸
・階殿
・鞨鼓等

この辺は江戸の祭り囃子に共通するようです。
箕輪家流墨田囃子保存会にはまた改めてお伺いしようと思っています。
安藤さん、どうもありがとうございました。

実際は当時の江戸で社会問題となっていた放蕩を防ぐ為に神主の名を利用したとの説明もありこの辺はロマンをそそります。
関連記事:和歌囃子・ばか囃子・江戸囃子の項参照

箕輪家流墨田囃子保存会
http://www.city.sumida.lg.jp/kyouiku/syougai_gakusyuu/gakusyu_sien/bunkazai_hogo/bunkazai_itiran/sumida_tourokubunkazai/mukei_minzokubunka/sumida_touroku901/index.html

ごしょがわらたちねぷたと読みます。

恥ずかしながら青森に来るまではねぶた祭りと言えば青森だけだと思っていましたが、
この時期五所川原、弘前、黒石をはじめ青森県内でなんと30を超える地域でねぶたが行われているそうです。おぉぉ、なんたる。。

弘前ねぷたねぶた、ねぷたと2通りの呼び方がありますが、タクシーの運転手さんは、

「どっちも一緒ですよ、元が一緒だから。発祥は弘前らしいですがね。」
とおっしゃっていました。
写真は弘前のもの。




語源は「眠たい」から始まってねぶたい、ねぷたい、、、、ねぶた!
みたいな感じだそうです。
もともと七夕の灯籠流し等から影響を受け、夏の眠気を流すといった禊祓(みそぎはらえ)の意味から始まったとされています。。

五所川原のねぷたはその大きさが特徴で、高さは7階建てのビルに相当する22m!!
総重量は約17tという言い方は悪いですがバケモノとしか言いようのない大きさのねぷたが街を練り歩くことで有名です。
このサイズのねぷたは最近になって作り始めたのではなく、江戸時代後期から大型化がはじまり、明治2年(1874年)には既に20m近いねぷたが登場していたとのことです。ほら
しかし、電線が市街地に張り巡らされたことにより、巨大ねぷたの運行が困難になり小型化を余儀なくされました。

時は経ち平成5年。
明治・大正期のものと思われる台座の設計図が発見された事がきっかけで、復活への機運が高まり、ついに平成8年立佞武多として蘇ったのです。

五所川原市内五所川原市民のねぷたにかける熱意はすさまじく、行政もバックアップし運行の妨げになる電線を地下に埋める工事まで行いました。
ほら⇒

僕はここまでやってしまう五所川原市に拍手を送りたい!
立派過ぎる!かっこいい!
お金をかける所を知っています。


その巨大ねぷたの運行は僕の稚拙な文章より、見てもらった方か早いでしょう。
「ヤッテマレヤッテマレ」の掛け声と共にお囃子の集団が通り過ぎた後、
ものすごいのがやってきます。



どうです? でか過ぎて全体がカメラに収まりません。。
僕らはただ立ちつくして
「うわ~、あ~、お~おお~、え~?」
とアホみたいな声を出すことしかできませんでした。
アホみたいな感想だけでは申し訳ないので、簡単ですが譜面をアップします(汗)

五所川原立佞武多お囃子のドラム譜

シンプルですが、応用次第では色々使えると思います。(8分音符は3連中抜きです)


五所川原ではあすなろ大太鼓という直径3.2メートルもある大太鼓も登場したのでそれも紹介しておきます。





ね、大きいでしょ?
大きさでは秋田県北秋田市の「綴子神社例大祭」に登場する大太鼓に一歩譲るようですが、
昭和52年に初登場以来夏祭りには欠かさず登場しているのだそうです。
さすがにこの大きさになると叩くのが大変そうで、江戸のお囃子の様にテンテケテンテケ叩くわけにはいきません。上から下から長いバチでゆったりと重いビートを奏でています。

さて、この日最後は交差点で3体のねぷたが顔を合わせ、金木町(現在の五所川原市)出身の吉幾三さんが特別出演して熱狂の中幕を閉じます。
単純に比較はできませんが、どれだけ国民的なスターになってもカーニバルでは必ず地元サルバドールに戻ってくるブラジルのIvete SangaloGilberto Gilのような印象を受けました。
ポーズにせよ自分の土地を大切にする姿には共感を覚えずにはいられません。

青森での2日間を振り返ってみて、地域の文化・つながりの大切さを改めて痛感しました。
僕も含め若い世代の伝統文化離れが顕著だと言いますが、
青森・五所川原どちらの祭を観ても、中心となって盛り上げているのは他でもない若者達でした。

ねぷたの様に華やかな文化を持つ地域ばかりではありませんが、自分達の土地で自分達の文化を守る、伝えていくという姿勢は持ち続けていくべきだと思います。
子供の頃から当たり前のようにお祭りと関わり、また新しい世代にその楽しさを伝え続いていく。
ねぶた祭りに地域文化の一つの理想を見せられたようなそんな2日間をでした。

五所川原立佞武多
「夏期休暇いつにします?」

入って間もない会社でもう夏休みです。
え、マジで!?ねぶた行けんじゃん!
なんて僕は幸せ者なのでしょう、運まで味方してくれている様です。

日本のお祭りについてまったく知識のなかった僕でも知っていた青森のねぶた祭り。
これを見ないでこんなブログが意味をなすでしょうか!
まぁ行けたから言うんですけどね(笑)

8月7日の早朝、これまた運良く休暇の取れた学生時代の友人小池君と新幹線に乗り込み、
まだ見ぬ東北の地に思いを馳せました。
青葉城恋唄の仙台を抜け、遠野物語の岩手を後にし、緑色なのにスーパー白鳥という電車に乗り換え到着した青森は、気持ちの良い風で僕らを迎えてくれました。

到着早々、職業柄なのか下調べに余念のない小池君はこの日も華麗なまでのスケジュール管理で僕をエスコートします。
「おい、そんなスーパーに入ってどうするつもりだ!」
僕の静止を耳にもせず小池君は入って行きます。

せっかく青森まで来てスーパーかよ!何たる。。と、一度は彼の情緒的感覚を疑いましたが、
地下に広がっていた魚市場を前に彼はせせら笑うのでした。

青森 魚市場見てください、このマグロ!
後ろの椅子は人間の座る椅子ですよ!

このマグロもさらし首にされる所以はないでしょうが、さばかれた後もその姿は立派です。
お前は偉い!でかい!うまい!

こんな大きな魚が新鮮なまま生で食べれるなんて、自然の恵みに感謝です。



とまぁ、あまり余談ばかり書いても記事が長くなってしまうのでここら辺にします。

青森のねぶたは跳人(ハネト)と呼ばれる文字通り跳ねる人が踊りながらお祭りを盛り上げます。
祭りを知るためには跳人になる必要があるのですが、そのためにはハネト衣装(正装)を着なくてはなりません。
これは「青森ねぶた保存伝承条例」で決められています。
なので今回は(株)トップテーラー青森店でレンタルさせてもらいました。

青森ねぶた ハネト衣装この写真で見ると分かりにくいかもしれませんが、実際には花笠をかぶり、たすきがけもピンク色なのでかなり女の子っぽい衣装です。

そんな話をトップテーラーの店員さんにしたところ、「そうだよ、もともとは酔っ払いが女装して踊ったのが始まりだから」と、津軽弁で語ってくれました。

ブラジルでもオカマの格好をした団体のパレードを沢山見ましたが日本でも古くからあるんですね。







では衣装も整ったところでいざ出陣!
それっぽい人たちの集団にさりげな~く加わりました。
最初はなんだかヨソモノ意識が抜けずヨソヨソしかったですが、声を出しいてる内にどんどんボルテージが上がってきました。



動画は撮っている小池君も跳ねているのでブレブレですね。
ご覧の通り「ラッセーラー、ラッセーラー」と言いながら跳ねます。
これは酒でもなんでも「出せや~出せや~」と言っていたのが変化したそうです。
僕達は途中で疲れてしまい、またさりげな~く脱退しましたが、生粋の跳人たちは2時間ぶっ続けで跳ねていました。
大型ねぶたの運行は3日間あるのですが、彼らは連日跳ねているのでしょうか。
青森市民の脚力恐るべしです。


ではお囃子!!
この日は沢山お囃子の動画を撮りましたが、中でも一番グッときたのがこのJR東日本の方々による演奏。ねぶたの太鼓はでかいですが、その分(?)バチも長いです。
そのバチがしなりながら勢いよく太鼓を打ちつけていくさま!粋ですね。



太鼓と笛の演奏は、そのまんま「青森ねぶた囃子」と呼ばれているそうです。
鳴り物は手摺り鉦といってチンドン太鼓の当たり鉦と同じような形状ですが、ねぶたの場合は2つをすり合わせて演奏します。リズミカルな動きと相まってこれまた粋ですね。

青森ねぶた囃子ドラム譜ドラム譜はこの日ほとんどの団体が演奏していた曲(他にもう一曲ありました)のベーシックな部分から抜粋・アレンジしました。
ラッセーラーラッセーラーと掛け声を出しながら叩くと感じが出ると思います(笑)

動画を見てもらえると分かるように実際は7小節ごとに笛に合わせた違うリズムが1小節入っていますが、汎用性を考えるとこれでいいと僕は思います。

お昼の山車引きが終わって地元の人に聞くと昨日の晩が一番盛り上がったとのことでした。
暗闇で怪しく光るねぶたの山車はお昼とはまた違った顔を見せてくれるのでしょうね。
今後青森ねぶたを狙っている人は参考にしてみてはいかがでしょうか。

青森ねぶた祭り
http://www.nebuta.or.jp/

追伸

青森ねぶた囃子を実際にドラムで演奏してみました。
どうでしょう?
使い方によっては新しいジャンル創出も可能なのでは?




※尚このビートに使用にあたっては、ご一報頂けるとありがたいです。
何事もつながりが大切ですから。

「小学校の頃から行事の後は必ずこれだよ!」


聖天寿司

妻沼名物特大いなり(聖天寿司)を紹介してくれたのは妻沼の太鼓チーム天鼓会のリーダーを務める増田さん。

左のショートホープと比べるとその大きさが分かって頂けるでしょう。

先日のうちわ祭で衝撃を受け足を運んだ妻沼には、他にも日本三大聖天の一つに数えられる妻沼聖天山日本初の女医である荻野吟子、大正の終わり頃から一世を風靡したメヌマポマードなどその名が全国に知れ渡る文化豊かな町でした。



その昔利根川のほとりに2つの沼があり、上の沼に男体様が、下の沼に女体様があったことから、上の沼を男沼、下の沼を女沼とし、後に妻沼と変化したことが地名の由来なのだそうです。

さて肝心の「練り込み囃子」ですが、なんとこのお囃子天野宣(あまのせん)という方が一人で作られたものだそうです。


恐れ多くもドラムで叩くとすればこんな感じ。

妻沼練り込み囃子ドラム譜下火となっていた妻沼のお祭りを盛り上げるため須藤森一(故人)さんが中心となり山梨の甲府にお住まいの天野さんに新しい祭り用のお囃子を根気強く依頼され実現したとのこと。




「練り込み囃子」は天野さんはもちろん、須藤さんの熱意と妻沼の人達の強い思いが込められています。町の人の表情からはそれがはっきりと見てとれました。


篠笛・当たり鉦・うちわ太鼓、柄付き太鼓、平胴太鼓に念仏太鼓と多くの楽器を使い、この日聖天・歓・喜の3連から成る総勢約300人による合同演奏が行われたフィナーレはご覧の通り。



伝統という視点からみればまだまだ若いお祭りかもしれませんが、めぬま祭りを見ていると重要なのはそこではないような気もしてきます。
どうすれば地元の町が盛り上がっていくかと真剣に考える気持ち。
お祭りにかける人達の行動の根底には必ずこれがあります。

めぬま祭り 増田さん他の町の真似をするではなく、独自のお祭りのを作りあげている妻沼。
小さな子どもからお年寄りまで町ぐるみで参加する練り込みには大きな希望があります。
今後さらに発展していこくとを心よりお祈りいたします。

ちなみにこの日は若手チンドン屋さん達のアイドル高田宣伝社の方々の演奏もありました。やはり妻沼出身です。

子曰く、学びて思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)く、
思いて学ばざれば、則ち殆(あやう)し


足利学校山あげ祭を見た次の日、栃木県足利市に住む大学時代の後輩、菅原君に連れられ日本最古の学校である足利学校へ入学(?)しました。

上の文章は
儒教の祖である孔子の言葉を集めた書物論語の一節で、足利学校の特別体験で素読したものです。




儒教が日本に輸入されたのは約1700年前であると言われていますが、
いまだに日本人の道徳観念の大きな部分を担っているように思います。
上の言葉もそうですが学校で購入した簡易版「論語沙」に目を通すと、どれもそうだよね~と頷ける内容のものばかりでした。まぁ、中々実行できないんですけどね。。

いやぁ勉強になったね~とか言いながら足利学校を卒業し、お土産屋さんを散策しているとどこからともなく太鼓の音色が聞こえてきました。
最初はCDか何か流してるんだろうと思いましたが、近づいてみると本物!!

足利が発祥という元祖八木節でした。

足利八木節 朝倉八木節保存会電池が切れて動画が撮れなかったことが本当に悔やまれるほど、息のあった完璧な演奏、踊りでした。

地元足利出身の菅原君は、僕が
「ちょっとこれヤバイじゃん!、
めちゃくちゃかっこいいじゃん」
と言っても、あぁそうすか?
とそっけない返事でしたが、
これヤバイです。


これまでほぼ日本の伝統音楽を意識する機会がなかった僕は、恥ずかしながらこの八木節の存在を知りませんでした。
実家の母にもばかにされましたが、ホントいいですねこれ!

大正生まれの比較的若い芸能というだけあって、分かり易いというか素直に楽しめます。
ただ疑問に思ったのはお客さんがほぼ居なかった事。。
地元にこんな素晴らしい芸能があるのにもったいない!
演奏されてる方はそんなのへっちゃら、という位思いっきり楽しんでらっしゃいましたけど。

こりゃたまらんと思い、横で休んでいた方に話を伺ったところ、
「お兄ちゃんやってみたら?、次一緒にやんなよ!」
まぁ、なんと寛大な。。

んで、やりました(笑)

八木節 俺いや~、楽しい~!
幸せ~!

嬉しそうでしょ?

僕が叩かせて頂いたのは鼓ですが、なんとスティックで叩くんですね~。
昔は松脂を使っていたそうですが、現在はガムテープでぐるぐる巻きです。

文明の利器ですね。


さて、叩いたリズムですがこれが面白い!

足利八木節ドラム譜これはもうビートそのものです。
最初の入りの1小節だけ決まりがありますが、後はずっと一緒。
止まる時は笛の合図で止まります。

ドラムで叩くとするとこんな感じになるんではないでしょうか?(汚くですみません)

アフリカのフェラ・クティが始めたアフロビートに近いものがありますね。
う~ん、いい感じ。

話が少しズレますが、譜面が出てきたところで最初にひとつだけ断っておきたい事があります。
これはあくまでドラムで叩くとすればこうなんじゃない?
という提案であって定義ではありません。
はっきり言ってこの譜面はもうこの時点で八木節のそれではありません。
八木節にヒントを得たドラムのビートの譜面です。
伝統的な音楽に対しては常に敬意を抱いていますし、長年磨かれ受け継がれてきた重みを感じています。伝統を汚すような意図はまったくない事だけはご理解いただきたいのです。
 
僕が譜面を起こす理由は例えばこういうことです。

今まで締太鼓を叩いていた日本人が西洋の新しい楽器を初めて手にした時のことを考えてみて下さい。
すぐにアメリカ人の真似をしてジャズを演奏するか、今まで叩いてきたリズムを試してみるか。
どうです?後者の方が独自の新しいものに発展する可能性があると思いませんか?
そういうチャンスが一度はあったわけです。
 
戦後日本は前者の道を選びますが、僕はロマンチストですから後者の道を歩んだ日本の音楽が聴いてみたい。どういう発展をしていくのか考えただけでもワクワクします。
そのために参考になるような譜面の紹介という意図で載せました。

もちろん僕の主観で起こす譜面ですから偏りは出てくるでしょう。
ですが僕も日本人です。
本場の現地人ですから、外人が起こす譜面よりは参考になるのではないでしょうか(笑)
 
最後になりましたが、気さくに仲間に入れていただいた朝倉八木節保存会の皆さん。
本当にどうもありがとうございました。


追伸

実際にドラムでさわりの部分を実演してみました。
やっぱりドラムだけだと寂しいですが、ギターのカッティングなんか入ると
ファンキーになりそうな感じです。
せっかくなので唄ってしまいましたが、素人なので大目に見てください(笑)




「四百五十年の伝統、日本一の野外劇!」

JR中央線の中吊り広告に記された文言に偽りはありませんでした。

栃木県那須烏山市で毎年3日間かけて行われる国の重要無形民俗文化財山あげ祭
期待を胸に僕は一人電車に乗ります。
新宿から宇都宮、東北本線で宝積寺駅に着く頃には景色もすっかり変わり、未来に残したい古き良き日本の原風景のようなものへ姿を変えていました。

鉄道マニアが喜びそうな2両編成のJR烏山線でゆっくりと到着した烏山駅は、これから本当にお祭りが行われるのかと疑ってしまうほど閑散としたイメージ。
道すがら立ち寄ったうどん屋さんもお客は僕一人でした。

しかしそんな不安をよそに、2時から公演が行われる山あげ会館前はすでにあふれんばかりの人だかり。
照りつける太陽と観客の熱気で会場は異様な雰囲気に包まれ、怪しげなパワーに充ち充ちていました。

山あげ祭 吉野山狐忠信そしていよいよ始まった野外劇場における歌舞伎の舞台。左の写真は「吉野山狐忠信」という演目を演じているところ。
源義経の家臣、佐藤忠信が静御前の鼓の音で現れるという場面です。

源平時代の伝説を目の当たりにするような素晴らしい公演に目を奪われていたのですが、実は山あげ祭の本当の見所は
公演が終わった後だったのです!

威勢のいい若衆がわーっと一斉に集まったかと思うと、さっきまで使われていた舞台を手際よく全て解体し山車の後ろに積み込みそのまま山車を引いて移動、そしてまた次の町で改めて組み立てるのです。


その回数なんと1日5~6回 !!
どれだけ大変か想像してみて下さい。
僕は地元の人達のこのお祭りにかける思いに強く打たれました。

そんな彼らを山車の中から盛り立てるのが、お囃子小宅流の皆さん。



ご覧の通り舞台解体・移動・組み立ての際は「新囃子」と呼ばれるアップテンポな曲で終始作業の場を活気づけてらっしゃったのですか、
なんとまぁこのお囃子のかっこいいこと!
トータルで1時間以上も続けて演奏されていたのですが、全然飽きない 。
上がる上がる!!(気持ちがね)

演奏のスタイルは笛(真竹)、大胴、中つけ、下つけ、鉦のたった5人。
この人数でこれだけのグルーヴが出せるとは本当に驚きでした。
僕は興奮を抑えられず演奏者の方にお話を聞いてみたのですが、
親切な方で保存会の会長さんを紹介して頂きました。

松本明さん
囃子方保存会4代目会長

山あげ祭 松本さん知性と情熱と男気の非常に中庸の取れた深みのある方でした。

僕の質問に対し気持ちいい程明快に帰返ってくる回答。
それのみならず、それにまつわる様々な裏話、歴史、地元への想い等々、、。

僕はこういう人を真の国際人だと思います。

洋楽・洋画・西洋文化に詳しくなったり、英語を覚えたり、海外の知識を得ることは大切なことですが、自分の国の事・自分の土地の事を知らないで海外へ出向いても本当の意味での交流はできません。

僕がそうだった訳ですから。。

あなたのお名前はなんですか?
と聞かれるようなものです。
え~っとなんだっけ?
なんて言ってる人と会話が成り立ちますか?

海外に目を向ける人間であればあるほど自分の国に目を向けるべきです。
僕はそう考えます。

さて、松本さんによるとお祭りを続けていくには想像を絶するようなお金がかかるため、
毎年資金繰りには苦労されるそうです。
まずお祭りごとに当番の町から(今回は日野町)木頭とよばれるリーダーが決められます。
木頭が言うことは絶対ですが、それだけに責任も重く金銭的にもかなりの額を負担するようです。
ただ、町の男達にとって木頭に選ばれるということは決して他では代えられない大きな名誉であり誇りであるため、皆責任を持って引き受けるそうです。

この話を聞いてこの町の方々のお祭りに対するただならぬ思いを感じつつ、
こんなお祭りを地元に持っている事を羨ましくも思いました。

山あげ祭 世話人左の写真でカンカン帽を被り粋な格好で先頭を歩くのは世話人と呼ばれる方々です。

彼らは全て木頭を経験した人達で、山車がよその町に入る際、失礼のないよう挨拶をする役目なのだそうです。

そういう予備知識を入れてからみると全然見え方が変わりますよね。



山あげ祭 金棒引きその後ろを歩くのが金棒引きと呼ばれる女の子たち。
道を清める意味があり、小学校にあがる前の子供が選ばれるそうですが、見た感じもう少し大人っぽいですね。
最近の子供は発育がいいのでしょうか。。
ね?

今回は本祭なので女の子5人ですが、つけ祭では男の子3人で行うそうです。

このように、一見しては良く分からないお祭りもそれぞれにちゃんと意味があるんですね。
ブラジルのお祭り(カーニバル)もそうでしたが、形式は違ってもちゃんと意味がある。
僕の目的はあくまでビートの収集ですが、こういった背景を抜きにしてただビートを集めてもそれは片手落ちになってしまうでしょう。

今回いろいろなお話を聞かせて下さった松本さんにこの場を借りて改めて感謝いたします。
他にも見て回りたいところがあるので2~3年後になるかもしれないが、必ず戻って来るのでご指導いただけますかと質問したところ、

「おい、どうする中野で山あげ祭広がっちゃったら?」

と、顔をほころばせながら周りの方に呼びかけていた松本さん。
山あげ祭は間違いなく世界に通用しますよ。

人手の減っている山あげ祭。
僭越ながら今後自身の活動で少しでも多くの人に知っていただければと、緩んだ帯を引き締めるのでした。

山あげ祭
http://www.mt-crow.net/k-karasuyama/index.php?mode=ym

関連記事
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/055/20.htm
先日21日(海の日)は関東一の祇園祭という熊谷うちわ祭へ行ってきました。
ビート収集を名目に祭り道楽かと言われてしまいそうですが、楽しい上に収穫もあるのでこれは止められませんな。

さて、熊谷の夏祭りの記録が文章に出たのは江戸時代の寛永3年(1750)で、もとは格寺社ごとに別々に行われていたものが役場役人から許可が降りて以来各町いっせいに行われるようになったそうです。

熊谷うちわ祭当時厄病除けに炊いていた赤飯をお祭りの期間中買い物客に振舞ったところ、
それが評判となり、その後手間のかかる赤飯の代わりにうちわが振舞われるようになったことがこのお祭りの由来なんだとか。

当日は沢山の立派な山車が目を引きましたが、山車に乗って演奏している方々に注目してみて下さい。
何でしょうあの大きな当たり鉦は!!
チンドン太鼓に付いているものの2倍近くはありましょうか?

演奏に使われている楽器は笛に特大当たり鉦3つ、締太鼓3つに大胴が1つというスタイルが僕が見た限り定型のようでした。


実際の演奏はというと、迫力満点の山車とは裏腹にすごーく地味な印象。。
正直演奏に参加されている方のモチベーションに個々の温度差を感じました。
あぁ今この子wiiの事考えてるな~
みたいな。。
そういう僕も幼少の頃は早く帰りたいな~とか思いながらドラえもん御輿を担いでいた口なので、
気持ちはよくわかります。。

テンポが遅く、これといった変化がないので見ている側も楽しむというよりは
へ~大きな山車だね~
と感心するより他ないような感じでした。

それなりに見ごたえはあったので満足し、近くの喫茶店で休憩した後まだやってるかなぁと会場に戻った時でした。

めぬま!! ねりこみ~! まだまだ~!
それぇ~!
ドンドンドンドドツドツドドン 
それぇ~!
ドンドンドンドドツドツドドン それぇ~!

ひゃー、うぉぉーーー!!!
かっちょいいぃぃ
!!!
何これ~!?


老若男女入り乱れたお囃子集団が突如登場したのです。
正直これは僕にとってジェイムス・ブラウン、イラケレ以来の衝撃でした!
こんなにかっこいいものが日本にもあったのかと。

あとで問い合わせてみたところ練り込み囃子といわれるもので、今回は参加されていませんでしたが練り込み踊り、鼓前童衆と合わせて練りこみと呼ばれるそうです。
今回のメインアクトではなく来月2日に同市内妻沼で行われるめぬま祭りからの出張だったようです。
僕が聴いた演奏は2つのリズムから成り、ちょっとおちゃらけたようなリズムが続いていたかと思うと、笛の合図で突如アップテンポに急展開。
めくるめく世界に観客をいざなうのです。

うちわ祭 ねり込み囃子

この団体にも近く接近する予定です。
すっかり度肝抜かされましたからね。

うちわ祭
http://360.jp/utiwa/

めぬま祭

http://www.atsuizo.com/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=467

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